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ネタは消耗品でいいのか

 現在のところ、お笑い芸人のネタは消耗品の側面が強いようです。もちろん、同じネタをずっと使い続けている方もいらっしゃいますけれども、基本的には新しいネタをどんどん作りながら、一方で使わなくなるネタも出てくる。

 コンビやグループを解散した場合には、新たな相方と組んだ際に解散したコンビのネタをすることはありますけれども、引退となるとネタが他の人によって披露される機会は失われる場合がほとんどです。ネタは考えた人の財産だという考えが強いのかもしれません。

 笑いを重視した演芸でも古典落語はお笑い芸人のネタと対極の位置にあります。何百年にもわたって伝えられてきた演目がたくさんあり、ネタをやる人がそれぞれに独自のアレンジを加えていく。映画もそれに近い部分がありますね。以前の名作をリメイクして再び公開する、なんてことがよくあります。それに比べると、お笑い芸人のネタは本当に消耗品です。いくら面白いネタをしたとしても、解散して引退すれば人目に触れなくなってしまう。

 理由はいろいろあるでしょう。古典落語は何しろ古典ですから、著作権も切れに切れているものばかりでしょう。だから、誰にでもやれるし、やるにしたって昔ながらの内容で披露しようがアレンジをガッツリ加えようが構わないわけです。映画だって、複雑な権利のあれこれをいろんな人がきちんと整理して初めて「じゃあ、一発リメイクやりましょうか」となっているに違いありません。落語も映画も、そうやっていくうちに、昔のものを使い続ける文化が生まれてきたのでしょう。一方、お笑い芸人のネタはほとんどが著作権で保護されているものであり、自分の持ちネタを他の人にあげてバリバリやってもらうという文化もあんまり見られません。文化がなければ権利みたいな法的なところも発達しないでしょうし、そうなるとネタは個人の持ち物のままとなり、いつかは持ち主と共に消えてゆくこととなります。

 なんかもったいないな、と思うわけです。個人的には、もう引退した芸人のネタだけどアレンジしたら今でも全然いけんじゃないか、みたいなものがちょこちょこあるんです。でも、現役の芸人がそれをやれば問題になるでしょう。お笑い芸人は往々にしてお笑いマニアでもありますから、速攻でバレて業界でやりづらくなってしまいます。

 ということは、ネタの権利を持つ人と交渉したりとか、そのネタを他の芸人に売り込んだりとか、著作権料を徴収したり分配したり、みたいなネタ流通業者が現れれば事情が変わってくるかもしれませんね。もし、そういう人が現れたら、あの人のあのネタを別のあの人にやってもらうなんてこともできるわけです。

 お笑いに詳しい法律家か、法律に詳しい業界人か、どちらかがまかり間違ってそういう事業に目覚めるのを待ちたいと思います。

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