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どんな贅沢からも生還する

 いわゆる貧乏舌なんです。嫌いな食材が混ざっていたりとか、食べ物が傷んでいたりとか、調理で派手な失敗とかしなければ、大概のものはおいしく食べられる。

 たまの贅沢でいいお店に行って高級な肉とかを食べていると、こんなことを言い出す人がいます。「もう普通の肉を食べられないかもしれない」。こんなうまいもん食べたら普通の肉なんかまずくて食べちゃいられないってことですね。それでも、大半の人間は高級な肉を毎日食べられるような生活を送れませんから、仕方なく普通の肉を食べる生活に再び舌を馴染ませていくのだと思います。

 貧乏舌だと、そういう苦労はありません。普通の肉は普通の肉でうまいとマジで思っていますから、高級な肉を食べた直後に普通の肉で舌鼓を打つことができます。実際に試したんで間違いありません。それを見た友人は「得な性格だな」と呆れていました。

 一時的に贅沢をしても、すぐ元の状態に戻ってこれる。これは食べ物だけではないようです。高級ホテルの変に広くてあっちこっちが機能的な部屋に泊まった次の日に、自宅の狭い部屋に戻って来ても余裕でくつろげますし、なんかやたらいいにおいのする高いシャンプーを数週間使っても、ドラッグストアで安売りしているシャンプーにすぐ切り替えられます。食べるのが貧乏舌なら、こういうのはなんて言うんでしょうかね。貧乏肌なのか貧乏心なのか分かりませんが、たぶん私は全身これ貧乏なんだと思います。

 何なら、普通の生活から更に後退しても大丈夫なようです。壊れたもの処分して新しいものを買うのが面倒という自堕落な理由から電子レンジのない生活を10年以上過ごしたこともありますし、引っ越し先の新居でどんなタイプを買うか迷いまくったお陰で冷蔵庫なしの生活を数ヶ月過ごしたこともあります。共通するのは「なきゃないでなんとか生活できるっちゃできる」でございまして、この調子だと私、身ひとつで洞窟に放り込まれても何となくダラダラ生活しそうな気がしてきました。

 それはともかく、どんないいものを使おうがいい生活を送ろうが、すぐさま庶民的な世界へ平気で戻ってこれる。私は少なくともごく一部の友人からそう思われているようです。その友人とたまにいいお店で結構な値段の肉を食べても「どうせすぐ安い肉に戻ってこれるんだろ?」などと、ご挨拶なことを言ってくるんです。

 最近ではそれも言い飽きたのか、「ヤバい薬やってもすぐ戻ってこれそうだな」とか、無駄に踏み込んだ発言をしてくるんです。ケミカルな現象は人の好みとか性格とかとは別の要素が強いですから、さすがに戻って来れないと思うんです。だからしたくないと申しますか、そもそもする気ありませんし。

 でも、友人は「いや、お前なら戻ってこれる」とか、誰目線だかよく分からない発言を繰り返すんです。一応申し上げておきますと、友人もそんな危ないものはしてないし、する気もないんです。だからそんな冗談を言えるんです。ただ、どんな贅沢な世界からも涼しい顔で生還してくる私を見て、どんな中毒からも簡単に戻ってこれる人間だと思い込んでいるようです。

 それともあれですか。悪い誘いというやつですか。普通に誘ったんじゃ乗らないだろうからと、私の性質に合わせた特殊な勧誘法を編み出そうとしてるんですか。友人にそう返すと、彼は笑っていました。

 とりあえず、戻ってこれるこれない以前に、そういう風にならない生活を今日も送っております。世の中にはしないほうがいい挑戦がある。そんな挑戦をするならば、たまの贅沢に挑戦し続けようと思います。

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