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お笑い事故が規制を生んだのか

 普通の人が笑いを取ろうとする際に何が難しいって、相手との距離感を見抜く点だと思うんです。勇気出してウケを狙ってスベる、いじりすぎて怒られる、強めの毒を吐いて泣かれる。もちろん、失敗の理由がたったひとつとは限りません。ただ、上記の悲劇3つは全部、相手との距離感をミスったことによって起きている側面が極めて強い。

 狙って笑いを取るにためは面白い言動も必要ではあります。ただ、適切な状況で言う必要も往々にしてある。ウケる時やウケる場所を狙うのは当然ですが、どんな相手に言うのかも重要になってくる。自分のことを知らない人よりは知ってる人のほうがウケやすいですし、自分のことを面白いと思ってくれる人ならば更にウケやすい。

 相手をちょっと悪く言って笑いを取る「いじり」や「毒舌」となると、言う側と言われる側に一種の信頼関係が必須となってきます。ちょっと悪く言っても「相手は冗談で言ってるんだな」とすぐに察してくれると同時に「この人ならばそれくらい言われても全然いいか」と許してくれる関係性ですね。

 この関係性が曲者で、目に見えないこともあってか極めて分かりづらい。いじって大丈夫かと思ったら実はそこまで信頼関係が気づけていなかったなんて場合もあれば、踏み込んだウケ狙いをして地雷を踏む場合もある。相手が怒り、泣き、関係性がこじれて初めて失敗したと気づくわけです。当然、人は失敗を糧にして学んでいくわけですが、時には取り返しのつかないことになってしまいます。

 お笑いのプロなら事故率は低いんです。彼らは四六時中お笑いのことばかり考えている人たちですから、お笑いの利点から危険性まで一般人より熟知している。適切な状況、適切な距離感だって見抜けます。何より、笑いを取るための信頼関係の構築に長けています。そうやって幾重にも、笑いを取るための準備を常にしている。

 しかし、世間に公開されるのはプロたちの日々の鍛錬ではなく、往々にして鍛錬した結果だけなんです。スポーツ選手はしばしば本番の試合だけを観客に見てもらうように、お笑い芸人だって日々の鍛錬ではなく本番の番組だったりライブだったりを観客に見てもらっている。そして、本番だけ見た人の中に、こんなことを思っちゃう人が出てくるんです。「これ、俺もやってみようかな」と。何なら「俺にもできるんじゃね」と思う人もいるでしょう。

 昨今ではテレビを中心に過激なネタを規制する方向に進んでいると言われています。過激なネタへの批判として代表的なものに「見た人が真似したらどうするんだ」というものがございます。当然、そのような批判に対する反論はたくさんありますし、全員が全員、見たものを真似するわけではありません。ただ、ちょっとは真似する人はいるでしょうし、それで事故った人もいるでしょう。私も幼少期を中心にお笑い芸人の真似て誰かをいじりすぎて険悪な雰囲気になったり、逆に誰かから酷いいじりをされて嫌な気分になったことがあります。つまり、ひとりの人間がお笑いで事故る回数はそこまで多くないでしょうけど、誰でも1度はやらかす確率はかなり高いでしょう。だから、過激なネタに対する批判は止まず、規制の強化に繋がっている可能性は高い。もちろん、それだけが規制強化の理由ではないとは思いますが。

 大衆に広く見られるものから過激な表現を取り除こうとする動きは日本に限った話ではありません。最近ではポリティカル・コレクトネス、通称「ポリコレ」という言葉がよく聞かれるようになりました。日本語訳すると「政治的に適切な」という意味で、差別的な表現やそう誤解されるおそれのある表現をしないようにしていきましょうという動きを指します。ポリコレは表現を規制するという性質上、「表現の自由」と真っ向からぶつかるため、過剰なポリコレに反対したり疑問を呈したりする人も結構いらっしゃるようです。ウィキペディアの出典ではございますが、現在の意味での「ポリコレ」が用いられ始めたのは20世紀後半のアメリカだそうです。

 以前、ここでオーストラリア出身のお笑い芸人、チャド・マレーンさんの書籍「世にも奇妙なニッポンのお笑い」を紹介しましたけれども、同書籍でマレーンさんはこんなことも書いていらっしゃいました。

 僕は日本に来た時、日本のお笑いが政治や宗教、人種といった社会ネタをあまりやらないことに驚きました。欧米ではこれにプラス、下ネタを加えたのが四大ネタだというのが僕の意見です。
(中略)
 欧米のお笑いで、政治や宗教、人種がネタになるのは、大衆にウケるからです。これらを取り上げれば手っ取り早くウケるのがわかっているから、ネタにしていることが往々にしてあるのです。

世にも奇妙なニッポンのお笑い、チャド・マレーン、NHK出版(2017年)

 私はポリコレの専門家ではありませんし、欧米のお笑いもよく知りません。ただ、マレーンさんの主張が事実だとすると、欧米の4大鉄板ネタは政治・宗教・人種・下ネタと、日本人の私からしてみたら危ない香りのするテーマばかりです。

 もちろん、タブーに敢えて触れるタイプの笑いがあるのは事実です。そして、こういうのはハマるともう爆発的にウケる。ただし、扱いが非常に難しく、失敗すると一瞬にして窮地に追い込まれる。大臣なら簡単に首が飛ぶレベルです。

 そして、全ての人がお笑いの専門家ではありませんし、相手との距離感をバシッと見抜いてドンとウケを狙えるような人ばかりではありません。それは恐らく万国共通です。つまり、4大鉄板ネタを使って強めにいじったら大変なことになった人は国を問わず存在するに違いありません。そんな事故があっちこっちで起きれば「メディアでそんな危ないネタを使うのはやめようよ」という動きがあったとしてもおかしくはない。

 世の中で起きている様々な現象はひとつの物事だけが原因とは限りません。ただ、ポリコレなるものが台頭してきた背景の一因として、4大鉄板ネタで大いに事故り、人間関係をこじらせる悲劇があちらこちらで起こったことがあるんじゃないかなあと思った次第です。

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