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コバエの油断

 暖かくなってくると、虫が湧いてきます。室内でよく見る虫の筆頭はコバエでしょう。どんなに気を付けていても、気づいたら入ってくる。気が向いた時にバシッとやっているんですが、やっぱり何匹かは室内に常駐している状況です。

 さて、私が風呂にお湯を溜めておりますと、浴槽の壁に黒い点が確認できます。お風呂の掃除はしたはずですので、これはホコリではなく、コバエだと認識いたしました。

 もちろん、コバエがいるからと言って浴槽にお湯を張るのを中止するわけにはいきません。そのままダバダバと遠慮なくお湯を溜めてゆきます。溜めていけば、当然ながらそのうち水面はコバエのところに達します。コバエは泳げないですから、生命の危機が迫っているに等しい。

 とは言え、ご存じの通りコバエは余裕で飛べます。しかも、意外と俊敏ですから、手でバシッとやろうとしても結構な確率で空振りするんです。だから、浴槽のコバエもどこかの段階で危機を察知して飛び立つに決まっています。ただ、どの段階で飛び立つのかは気になりまして、浴槽のコバエをぼんやりと観察しておりました。ドンドン上がってゆく水面に対し、コバエは飛び立つ素振りはおろか、水面から避けようと歩き回る兆しもありません。

 一体いつになったら飛び立つのだろう。そう不思議に思っていた時でした。コバエが壁から離れ、流れに乗って水面を漂い始めました。あくまで水流によって動いているだけであり、決してコバエの意志で動いてはいない。

 おかしい。コバエなら速攻で飛び立ち、お湯の脅威から離れるはずです。やっぱりホコリだったのか。そう結論づけようと思った次の瞬間、水面を漂う黒い点がモゾモゾと動き始めました。どうも足をばたつかせているようです。そのうち、翅を広げて羽ばたき、窮地を脱しようともがきます。数秒ほどの試行錯誤を経て、コバエはようやく飛び立ちました。

 つまり、こういうことです。お湯が溜まりつつある浴槽でコバエはのん気に待機していたんです。「なんか下からジャブジャブ音がするな」とか「よく分からないけど暖かくなってきたな」みたいなことは感じていたかもしれませんが、生命の危機とは全く感じていなかった。それがいきなり波に足を取られ、気づけば温かい水面にダイブしていた。コバエは泳げません。そこでようやく「うお、これはヤバいぞ」となり、脱出を図ったということなのでしょう。

 控えめに申し上げて、激烈な油断です。私の手を何度となくスルリとかわす、あの俊敏なコバエにあるまじき間抜けな姿でした。まさかあんな簡単に流されるなんて思いもしませんでした。コバエだって人間に追い回されている時は緊張状態にあるため、どんな攻撃もスルスルと避けられたのでしょう。逆を言えば、あの浴槽のコバエは、だらけまくっていたと言えます。

 なんか親近感が湧いてきました。

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