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まだ神様の出番じゃない

 知人の話です。仕事を終えて帰宅すると、部屋から娘の声が断続的に聞こえて来る。家には娘しかいないはずなのにおかしいなと思いドアを開けると、娘が直立不動で「〇〇高校合格、〇〇高校合格」と言い続けていたそうです。

 〇〇高校が娘の第一志望なのは知っていましたが、試験3週間前に何をしているのか。まさか受験ノイローゼというやつか。心配になった知人が娘を問いただしました。

 娘の答えはこうでした。塾で先生が「言葉は現実化する。『〇〇高校合格』と声に出せばきっと合格できる」と言われたため、家に帰って早速やってみた。

 かねてより娘の成績では〇〇高校は厳しいと言われており、特に数学の点数が絶望的だったそうです。つまり、わらにもすがる思いで、娘は己の目標を声に出していたようです。しかし、知人は「そんなことしてる暇があったら公式のひとつでも覚えなさい」というド正論で一刀両断したそうです。いや、確かに。「わらにもすがる」とは書きましたが、正直、わらにもちょっと悪い気がする。そういうものにすがっていると言わざるを得ません。知人は本人の希望に沿って〇〇高校を受験させましたが案の定、不合格となり、娘は別の高校に進学する運びとなりました。

 などと偉そうに述べてますが、私も他人のことを言える立場にありません。

 私が高校受験を控えていた頃、学問の神様を祀っている神社に行きまして、いい値段のするお守りを買いました。何でも、このお守りがあれば志望校に合格できるという。

 私は興味が湧きました。お守りを買った時点で私の成績は第一志望校の合格ラインに全く届いておりません。そして、特に一生懸命勉強しているわけでもない。この状況でお守りはどうやって私を第一志望校に合格させてくれるのか。どういう奇跡を私に巻き起こしてくれるのか。すごく楽しみでした。

 結果は案の定です。3者面談で先生は言いました。「これじゃ受けてもまず合格しないぞ」。私は受験する高校のランクをガッツリ下げる羽目になりました。つまり、私は第一志望校を受験すらできなかったのです。私は学びました。「神頼みをしていいのは、やることやった人だけだ」と。

 大学受験では神様に過大な期待を寄せない勉強法へシフトし、とりあえず大学に受かりました。知人の娘もまた、高校ではちゃんと勉強したそうで、今では大学生活を謳歌しているそうです。

 気休めは所詮、気休めです。でも、ちゃんとやってきた人にとっては時に大切なものとなる。実際、私は大学受験でもお守りを持って行きましたし、少なからず役に立ったと思っています。

 これからも気休めが役立つような生活を送りたいものです。

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