「食べる」を探求して食べ方を忘れる
食事をするとむせやすいなあと以前から思っていたんです。でも、原因が分からない。
食事のように生まれてから当たり前のようにやってきた行為ですと、無意識のうちにやっている場合が多く、原因を追究するのも一筋縄ではいきません。原因究明のため、そもそも「食べる」とは何かを自分なりに軽く調査してみました。
まずは「食べる」を細かく分けてみました。食べ物を口に入れる、咀嚼する、飲み込む。基本はこの3段階に分かれます。更に「咀嚼する」は「食べ物を歯でちぎる」「食べ物を歯ですりつぶす」「舌を動かす」「味わう」などに細かく分けられます。食べ物によって、やることが異なる場合もあるでしょう。口に入れるのだって、前歯で噛み切るのか、奥歯で潰すのか、丸呑みするのかで、全然違ってくる。更に飲み物もあります。たかが「食べる」だと思ってましたが、分類や場合分けを繰り返していると、様々な行為や現象が組み合わされた複雑な作業なのだと思い知らされます。
そんなことをしていると、「食べる」を細かなところまで意識するようになりました。すると、不思議なことに、普通の食事が困難になって参りました。自分がどうやってものを食べていたのか、訳が分からなくなってきたんです。「身体のどの部分をどうやって動かしてたんだっけ」。もう、むせるどころの騒ぎではありません。いくら自分が空腹で、目の前においしそうな食べ物があったとしても、それをどうやって体内に取り込めばいいのか分からなくなってしまうんです。
なんかすごく間抜けな理由で生命の危機に瀕している。これはよくない。とりあえず、細かいところは忘れて、一旦ゆっくり食べることにしました。何かと早さが重んじられる現代社会でございますけれども、当然ながらゆっくり行動するのにも利点があります。早いと見過ごしてしまうような物事が、ゆっくりだと気づけるんです。
加えて、食事中に余計なことはしないようにしました。食事の細部まで集中するのは良くないですが、だからと言って別のことに集中しながら食事するのも良くないと思ったんです。食事だけをゆっくりする。お陰で、理由が何となく分かりました。
食事をする時、私は全ての食べ物を吸い込むようにして口に入れていたんです。蕎麦をすする要領とでも申しましょうか。そういう風にして、食べ物をこぼさないようにすると共に、口に入れるスピードを上げていたわけです。
それはそれで利点があったのでしょうが、一方で吸い込み過ぎてしまう場合もあったんです。その結果として、食べ物が気管に入り、むせてしまっていたのでしょう。蕎麦をすする要領で米をすすっていれば、喉にヒュッと入ってしまうことがある。粉末ともなればなおさらです。七味唐辛子を気管に取り込んだ日には大惨事。そういうことなんだと思います。
ちょっと考えれば分かることなんですが、随分と遠回りしてしまいました。遠回りしすぎて、「食べる」という行為を忘れそうになってしまいました。ただ、そんなアホなリスクも無駄ではなかったようで、吸い込まないよう意識して食べてからむせる回数は明らかに少なくなりました。
それは良かったんですが、ゼロではないんです。つまり、他にもむせる理由があるんです。
更なる原因の特定をしたい気もするんですが、次も同じような遠回り検証をしていると「食べ物? 何それおいしいの」みたいな状態にまでなりそうなので、とりあえず今しばらくはこのままで行こうと思います。
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