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珍獣「姉の同棲相手」

 兄弟姉妹がいて、互いにひとり暮らしをしていて、関係がそれなりに良好だったら、旅行ついでに泊まりに行くことがあると思うんです。少なくとも私はちょこちょこしていました。ホテル代が浮くので、もう家族内で推奨されていたくらいです。

 それはつまり、家族の中で誰かひとりが東京に住んでいると、東京観光の根城にされることを意味しています。私が大学生だった頃、姉の家がまさに根城でした。最も活用していたのは旅行好きの母で、安く東京へ遊びに行けるとホクホク顔でした。

 そんなある日のこと、私に東京へ行く用事ができました。星野家の慣習に従い、都内某所にある姉の家で一泊することがアッサリと決まりました。用事を済ませて姉の家で一泊し、翌日に帰宅の途に着く。そういうプランでございます。

 用事自体は難なく終了いたしまして、早速、姉の家があるという都内某駅に向かいます。その頃には夜になっていましたが、目の前が繁華街ということもあってか、駅を出入りする人の流れは絶えることがありません。そんな人の流れに目を凝らしていますと、予想とは全然違う方向から姉の声が聞こえてきました。パッと振り向くとそこにはまさに姉がいたんですが、隣に見知らぬ男性もいたんです。姉との距離感的に、明らかに知り合い以上の関係であることが一発で分かりました。

 うろたえる私に姉が言いました。

「あれ、母さんから聞いてなかった?」

 男性は姉の同棲相手でした。後日確認したところ、母は知っていたようですが、私には「どうせあの子はこういう話に興味ないから」ということで言わなかったそうです。いや、確かにそれは間違っていないですけれども、姉の家に泊まりに行こうとしている人間には言っておく事柄だと思うんですよ。

 当然、「姉の同棲相手」という人類と会話する心の準備などできていない私は、とりあえず同棲相手に自己紹介しまして、3人で姉の家に向かったんです。

 これで同棲相手が外向的な人だったらまた違ったんでしょうが、初見でも一発で分かる濃厚な人見知りオーラをまとっておりました。多分、向こうも私を見て同じ感想を抱いたんだと思います。家へ向かうまでの間、「姉と同棲相手」「姉と私」という会話パターンのみが展開されていました。もちろん、姉の1Kアパートに着いてからもそれは同様です。

 このような関係性は、姉がいなくなるとたちまち大変なことになります。そんな状況はすぐに訪れました。姉が風呂に入ると言い出したんです。部屋には同棲相手と私だけです。私の中で「同棲相手」とは、どこかにいるらしいけど滅多に姿を確認できない、ちょっとした珍獣みたいな位置づけだったんです。だから、姉の同棲相手と同じ部屋にマンツーマンという現実をまだ受け止めきれていませんでした。会話以前の問題です。

 そして、同棲相手もまた「彼女の弟」を伝説上の生き物くらいに思い込んでいたのでしょう。そんな未確認生命体と同じ部屋で二人きりですから、会話しようという精神状態になっていなかったに違いない。結局、姉が風呂から出てくる小一時間、私たちの間で交わされた会話はゼロでございまして、部屋に戻って来た姉は無言でしゃがんだままの二人を見てドン引きしていました。

 姉にとっては相当の衝撃だったようで、そのことを速攻で母に伝えました。そして、姉はその同棲相手と別れてからも、時に母と結託してそこそこの頻度でいじってきました。「あの時はマジで焦った」「何か話すことあるだろ」と。姉や母が私の過去の恥をいじるなんて幼少期の頃から繰り返してきた悪行ですから今やスッカリ慣れていましたけれども、しかし妙に何かがひっかかっていたんです。

 こんなことをnoteに書くくらいですから、私の過去の恥は私もいじっているんです。同棲相手小噺を自分なりに作り上げ、機会があれば友人知人に話していました。小噺を聞いた皆さんの反応は、大抵は苦笑いですけれども、すべるよりはいいという前向き姿勢でなんとかやってきました。

 最近も同棲相手小噺を会社の同僚にしたんですけれども、彼の反応は今までの人と違っていました。

「それ、お姉さんがおかしくない? 普通、同棲相手いるのに弟を家に呼ばねえよ。それでいじるのも意味分かんねえし。そもそも同棲相手がいるってお前に言ってないのが意味不明」

 別に同棲相手がいる状態で弟を家に呼ぶかどうかは価値観の問題だとは思うんです。ただ、同棲相手というちょっとした珍獣に遭遇した私の戸惑いは別におかしなことじゃないんだと思って安心したのは確かです。

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