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伝染性鉄道事故症候群

 ペーパードライバーなんです。理由は明確で、自動車免許を強制的に取らされたからです。

 事の始まりは大学1年生の時です。夏休みに帰省してみると、母がこんなことを言いました。

「明日から教習所に行ってきなさい。お金は払っておいたから」

 少なくとも私の周囲では頑張ってバイトして貯めたお金で教習所へ通う大学生が圧倒的に多かったです。彼らからして見れば、なんていい親だと思うに違いない。しかし、免許を取る気なんてさらさらなく、これから1ヶ月間、実家でゲーム三昧の自堕落な生活を送ってやろうと意気込んでいた私は、騙し討ちされた気分になりました。

 私は嫌がったんですが、母は「自動車免許は必ず要るから」と言って聞きません。何より、入校手続きは全て済んでいるんです。今更キャンセルというわけにはいかない。私は渋々教習所へ通い続けました。

 思えば、小さい頃から兆候はあったんです。自動車を運転する父や母は「お前も将来は運転するようになる」と言いましたが、そのたびに私はこう考えていました。「私のような人間がこんな危険な乗り物を運転して大丈夫か」と。

 実際、重大な交通事故の多くは伝統的に自動車が引き起こしています。あんなデカくて硬いものが結構なスピードで動くんですから当然です。それを自分みたいな人間が運転する日が来る。社会的によろしくないと思いました。何しろ、歩いていても目測を誤って柱の角に肩をぶつける人間です。車なんて運転したら常に悲劇がつきまとう新手の死神みたいになるに決まってます。

 もちろん、教習所でもいろいろやらかしました。仮免は実技で1回落ちてますし、受ける講義を間違えて職員にご迷惑をかけたこともあります。何かやるたび、自分は乗り物を運転してはいけないと改めて確信する。その結果が現在のペーパードライバーに繋がっています。でも、免許の更新は毎回朝一に行ってますし、ちゃんと講習も聞いてます。自分でもなんでそこはやる気なのか訳が分かりません。

 じゃあ、自動車じゃなければ運転していいのか。私はそうは思いません。ある日、私は某鉄道会社のイベントへ行く機会がありました。鉄道に関するいろんなことを学べる催しだったと記憶しております。

 その中に、レールの上に車輪だけが載っている、何ともシュールなブースがありました。担当の方に話をうかがうと、車輪の安全性能を紹介するブースだとのこと。

 確かに、あんな2本の鉄棒が繋がっているだけなのに、その上をビュンビュン走り回っても滅多に脱線事故が起きないのは不思議に思っていました。秘密は車輪の形にあるようで、車輪の内側から外側にかけて勾配をつけることで脱線しづらくなっているとのこと。

ウィキペディアの「輪軸 (鉄道車両)」より引用

 ブースでは線路上で車輪を転がせるようになっていました。サイズは小さいですが、線路も車輪も形は実物とほぼ同じとのこと。線路のコースは直線の後にU字カーブがあり、また直線に至ってゴールというシンプルなものです。しかも、ゴールに向かって下り坂になっていますので、参加者は車輪を指でちょんと押すだけでいい。誰にでもできる、非常に簡単なシステムです。

 一応、聞きました。「本当に脱線しないんですか」。鉄道会社の方々は誰もが笑顔で「大丈夫」と断言します。しかし、私がやるとカーブで脱線するんです。「あれ、おかしいな」と言いつつ2度3度とやるんですが、そのたびにガチャンと派手な音を立てて脱線する。私は慣れっこですが、慌てたのは鉄道会社の方々です。申し訳なさそうに男性社員が試しに車輪を転がすと脱線、隣にいた女性社員がやっても脱線。誰も悪くないのに何とも気まずい空気が流れて参りました。結局、ブースの責任者が奥から現れ、車輪をもう慎重に慎重にレールへ載せ、細心の注意を払って指でちょんとしました。すると、車輪はフラフラと怪しげな挙動をしながらもどうにかU字カーブを突破、無事故でゴールまで到達し、私は心底ホッとしている鉄道会社の方々と笑顔で別れました。

 こんな私が電車の運転士になっていたらと思うと恐怖しかありません。10両同時横転くらい日常的にやっていたかもしれない。何かの間違いで新幹線を運転してしまった日には15両丸々ジャイロ回転させながら東京駅に突っ込んでいたでしょう。事故原因が全く分からず頭を抱える運輸安全委員会職員の姿が目に浮かぶようです。

 更に深刻なのは某鉄道会社イベントの話でもお分かりの通り、私の運転下手はどうやら伝染するようなんです。つまり、私が運転士になってしまうと、日本全国で様々な電車がジャイロ回転しながら駅に突っ込む事件が頻出するわけです。日本で起こる鉄道事故の数は、桁がひとつかふたつ増えていたに違いない。そうなれば、世間は「そんな危ないものを動かせられない」と判断し、日本の鉄道が衰退の一途を辿ってしまう。

 船でも飛行機でも、まだ誰も考えついていない未来の乗り物でも結果は同じでしょう。私が運転をした途端、世界中で原因不明の大事故が頻発するに違いありません。私が運転しないから防がれている事故がある。今の私はそう思い込むことにしてます。

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