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都会の銃撃戦にいよいよ遭遇したと思ったんです

 平和な証拠となるのかは分かりませんが、現代日本では本物の拳銃と出会う機会が滅多にございません。銃で撃たれるなんて、よほど悪いほうに頑張らないとまずありえない。

 ただ、世の中は何が起こるのか分からないのもまた事実でございまして、いつもの道を歩いていたら銃を持ったヤバそうな人が目の前に現れるかもしれない。確率は非常に低いけれども、この世に銃が存在し続ける限り決してゼロにはなりません。

 そんな桁外れに低確率の出来事なんて、普通の人は頭の片隅にも置かないと思うんです。実際、ほとんどの人はそんな体験をせずに一生を過ごす。心配する必要のない心配、すなわち杞憂というやつですね。でも、万物に心配の種を見つけ出す杞憂マスターともなりますとそうはいきません。もしものことが起きたらと、いつも頭のどこかで考えている。

 私も杞憂マスターの端くれとして、銃の存在は気になっています。海外のドラマなり映画なり見ると、現地の文化を反映してかそこそこ銃が出てくる。しかも、日本に比べて描写がリアルなんです。恐らく、銃をよく知る人が監修しているに違いありません。

 ですから、そういう作品を見ると、本当に合っているかどうかは別として、銃の知識をチラホラ得られるんです。例えば、銃弾が固いものに当たると「チュン」みたいな音がする。そういうのは大体は海外の作品から得た知識です。

 知識を得れば活用しようとするのが人というものです。ですから、私も映画やドラマで得た銃の知識を少しでも日常に生かそうとするわけです。チュンって音が聞こえたら銃弾が飛んできたのだから注意しろ、みたいな感じですね。役に立つかどうかと言われれば、有事に対して何にも備えがないよりは心強い、という効果くらいはあると思っています。

 さて、先日、私はいつもの道を歩いて職場へ向かっていました。何の変哲もない、いつも通りの朝の景色です。私はのんびりと歩いていたんですが、急にどこからか「チュン、チュン」と断続的に音がするんです。

 いよいよ来たか。私は思いました。低確率の事象に遭遇してしまったのだと腹を括ったんです。緊急事態に慣れてない丸腰の人間が銃撃でできることなんてたかが知れてます。逃げるか、もしくは身を屈めて少しでも弾が当たる確率を下げるくらいでしょう。

 「さて逃げるか」とは思ってみたものの周囲の雰囲気が妙なんです。銃弾が飛び交っている割には景色がいつも通りすぎるんです。逃げ惑う人はおろか悲鳴ひとつ聞こえない。そこで冷静になって確認してみますと、チュンチュン音がするのはすぐそばのビルからなんです。南側が全面ガラス張りの近代的な建物でございますけれども、チュンチュン音と似たようなテンポで全く別の音がしている。それは近くの工事現場から聞こえていました。杭か何かを打っているのでしょうか。「ガコン、ガコン」と大きな音が聞こえ、それに呼応する形でビルのほうから「チュン、チュン」と音がする。

 チュンチュン音の正体は、工事現場の音がビルに反射して聞こえた音だったんです。なんて紛らわしい。そう思ったのはどうやら私だけのようでした。杞憂マスターとしての面目躍如な気がしたんですが、まあ気のせいでしょう。というわけで、私は今日も無事に生きております。

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