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ちゃんとダジャレに気づいていれば避けられた事故

 笑わせようとしたけど全然笑ってもらえない。いわゆる「スベる」という現象でございまして、お笑いで仕事をする人はもちろん、そうでない人もまた心に傷を負いがちな現象です。

 スベる理由はいろいろあるでしょうが、端的に言えば「つまらないから」でしょう。そして、つまらないものの典型として挙げられがちなのがダジャレです。ダジャレでスベるのは人類共通の悲劇でございますが、なぜか中年男性を中心に風当たりが特に強く、「オヤジギャグ」がダジャレとほぼイコールで結ばれてしまう時もある。

 困ったことにダジャレというのは思いつくのが比較的容易であり、思いついたら言いたくなる人が一定数いらっしゃるようです。そういうタイプの方は常にスベり続ける人生を強いられており、その対策として面の皮を厚くしたり心臓に毛を生やしたりせざるを得なくなるんです。

 私がまだ学生だった頃の話です。年末が近づいてきたため、友人に年賀状を作らなければならなくなりました。やることなすこと大体遅い私は、年賀状のデザインに悩むのだって人並外れてゆっくりでございます。しかもデザインを変に凝ってしまうから余計よくない。結果として、紅白歌合戦をBGMに、すっかり酔っぱらった母になじられつつ年賀状を書き、完全に年を越してからポストに投函するのが通例となっておりました。

 しかし、母になじられながら年賀状を書く年末年始がおめでたいわけありません。今年こそ年賀状を書き終えて新年を迎えたい。そう決心した私は、12月の初頭に作戦を練りました。どうしていつも年賀状が送れるのか。私の動きの緩慢さが主な原因ですが、生まれ持った特徴はどうしようもない。では第2の原因である「デザインに凝る」をどうにかしようと考えました。

 そうだ、手を抜こう。思いついたら実践あるのみです。その辺に転がっていたゲーム「半熟英雄」のキャラクター「おめでとり」をパソコンに取り込んでハガキに印刷、あとは宛名を書きまくって終わりとしました。

 「おめでとり」は年始を祝うキャラクターで、鏡餅の姿をしています。しかも当然のように「おめでとり!」と言う。年賀状との相性は抜群と申しますか、むしろそれ以外の活用法が思いつかないほどです。

 当然、プロのイラストレーターが考えたキャラクターですから、素人が適当に使っても年賀状が映えるんです。動機は不純とは言え非営利目的の使用ですから法的な問題もクリアしている。しかも楽。どうして今までやってこなかったのか。己の愚かさを改めて痛感しつつも、年内の年賀状投函を完了し、悠々と新年を迎えられました。

 始業式の日、友達と会うと冬休みの思い出に花が咲きます。当然ながら、その中には年賀状の話題も含まれます。やたら凝った絵を描いておきながら
メッセージが「これを描くのにかけた3時間を返せ」だったやつ、住所を「太陽系第三惑星地球」から始めるやつ、「あぶりだし」と書いておきながら火であぶっても何も出てこないハガキを送り付けたやつ、毎年いろいろな問題児が現れ、教室でネタにされていきました。

 私もまた、友人との挨拶もそこそこに年賀状の話になったんですけれども、手抜きをいじられるかと思いきや、友人から言われたのは意外な一言でした。

「なんで酉年じゃないのに『おめでとり』なの?」

 そうなんです。年が変わるまでに年賀状を出すことにこだわるあまり、手近なキャラクターを丸パクリして済ませた私は、来年の干支が何であるかを全く気にしていなかったんです。結果的に、酉年じゃないのに鳥のダジャレを各所にバラまいた形となってしまい、新年早々「今年の干支も分かっていないやつ」として、問題児の一角を担う羽目になってしまいました。「おめでとり」と酉年の関連性に気づいていればこんな悲劇に遭わなかったんです。普通なら気づくはずの関連性に。

 ダジャレを口にして大いにスベり、心に傷を負う話は今までも散々聞いてきましたから、私は日々注意していたんです。でも、ダジャレに気づかなくて落ち込むパターンもあるとは知りませんでした。犬の糞を踏みたくないからと足元ばかり注意していたら上から鳥の糞をぶつけられた気分です。大きいものから小さなものまで、事故はどの方角から飛んでくるか分からない。我々は油断ならない世界を生きています。

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