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横浜で工作船と高級浣腸

 昨年末に横浜へ行ったんです。横浜と言えば赤レンガ倉庫か、というひねりに欠けた発想のもと、私は赤レンガ倉庫を訪れたんです。

 いわゆる複合施設というものなのだと思います。様々なお店が連なっているかと思えば、ホールや展示スペースもある。平日の午後だというのに大勢の人で賑わっていた上、暖房が結構効いていましたので、厚着にはなかなかなホットスポットでございました。とりあえずそばにある赤レンガパークのベンチで海風に当たって休んでいますと、前方からなんか大きな船がじわじわ近づいて来るんです。

 明らかに着岸まで秒読みの段階です。船の着岸をあまり見ない人生を歩んできた私、早速、接近できる限界まで近づいてみました。

 多くの方々が細心の注意を払い、巨大な船を本当に徐々に岸へと着けてゆく様子に感心した私ですが、なるべく近くで見てやろうと夢中になるあまり、着岸を見終わった時にはこんな建物のそばまで来ていました。

 どうも私が見ていた着岸は、海上保安庁の船が海上保安庁の敷地に帰還したところのようです。そして、海上保安庁の敷地には一般の人が気軽に入れる資料館が建てられていた。気軽に入るには不穏な単語も見られますが、入口の看板によるとなんと無料とのこと。早速、入ってみますと入口にいた職員の方に話しかけられました。

「船をじっくり見られてましたね」
「いやあ、どうやってあんな大きな船から人が降りるんだろうかと気になりまして。あれは何の船ですか?」
「巡視船ですね。ヘリも2機搭載できますし、機銃も積んでます」
「え、機銃ですか。どこですか」

 思いもよらない単語が好奇心を変な風に刺激してしまったのか、妙にテンションが上がってしまった私は職員の方に次々と質問をぶつけてしまいました。職員の方は停泊している巡視船を実際に指さしながら機銃の場所やら何やらを教えてくださり、「そんなに興味があるなら」とパンフレットくださいました。私、控えめに言ってかなりはしゃいでしまいました。大変失礼いたしました。

 せっかくなので資料館を見学することにしました。メインの資料は建物外観に書かれていた通り工作船です。職員の方に尋ねたら写真を撮っても大丈夫とのことでしたので、撮ってみました。

 昔ニュースで見た時には小さな船に見えましたが、近くで見るとかなり大きく、銃弾の跡もしっかり残されていました。

 船の内部も見られるようになっていて、資料館としての義務を果さねばという強い意志を感じさせる情報公開っぷりです。

 気になったのは最奥の解説文でした。

 「自爆によりできたと思われる破口」と書かれています。「破口」は文脈から考えて恐らく「破壊されてできた穴」というような意味合いでしょう。自爆という言葉が普通に出てくるところからも、緊迫感が伝わります。

 工作船に積まれていたものも展示されていまして、ロケットランチャーや自動小銃、機銃など物騒なものが当たり前のように展示されていました。海上保安庁は時にこういうものを持っている相手と対峙しなければならない。実に大変な仕事だと思いました。

 中でも気になったのがこれです。

 自爆をするということは、当然ながらその装置のあるということです。船内に残っていたものを回収していたのでしょう。装置に向こうの言葉で分かりやすく「自爆」と書かれていたのが妙に印象に残りました。緊急時に「あれ、自爆スイッチどれだっけ」と迷うのを防ぐ目的なのでしょうか。言い換えれば、「その時が来たら迷わず押せ」ということなのでしょう。工作員の故郷である国は日本から見たら物騒な印象ばかり目立ちますが、前線で活動する工作員の過酷さを垣間見た気がします。

 お世話になった職員の方に別れを告げ、また赤レンガパークで一休みしていますと、先ほどは違った方角に気になる建物が見えました。建物の写真は撮り忘れてしまったんですけれども、「JICA横浜 海外移住資料館」と書かれていました。

 JICAが国際協力機構(Japan International Cooperation Agency)ということは何となく知っていましたが、海外移住資料館とは何でしょう。ということで見に行きました。どうやら日本人が海外移住した歴史を資料と共に辿る施設のようです。過去に日本人が海外移住をしたという話はぼんやりと聞いたことがありましたけれども、思ったよりも多くの日本人が海外へ移住し、そして思ったよりも最近まで海外移住の事業がおこなわれていたなど、なかなか興味深い知識が凝縮されていました。

 JICAの前身となった組織のひとつが中南米の移住事業に携わっていたこともあり、そちら方面の資料が充実しています。こちらは写真撮影ができる場所とできない場所があったのですが、撮影できる場所で特に気になったものがこれです。

 移住した方の荷物のようです。当時の方々が現地で暮らすために何を用意したかが分かる貴重な資料でございます。ちゃんと雨傘と日傘が両方あるのも印象深かったのですが、よく見たらこんなものも入っていました。

 「高級硝子灌腸器」と書かれています。要は浣腸ですね。当時は中南米まで船で行っていたらしく、当然ながら長旅になったようです。浣腸が威力を発揮する場面だってきっとあったに違いない。こういうものまで包み隠さず資料として載せるところは非常に好感を覚えます。

 ちなみに、資料館の近くにはやけにファイティングなポーズのアリクイとカピバラらしき像も立ってました。

 横浜は赤レンガ倉庫以外にもたくさんの施設があるんですね。たぶんまた行きます。

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