素と天然の違い
もともとは一部の人たちだけで使われていたけれども、何らかの理由で多くの人たちに使われるようになった言葉は意外とあるようです。みんなが使うようになると、そのうち国語辞典を作る人の目に留まり、意味を定義されて辞書に載るんでしょうけれども、その過渡期ですと「何となく感覚で使っている」状態で広まっていくため、意味はぼんやりしているし、何なら広がる過程で意味自体が変わったりもする。
お笑い芸人発の言葉の多くはまさに過渡期の最中だと個人的には考えています。お笑い芸人はここ数十年で急速に活動範囲を拡大し、影響力を持つようになってきました。単純に芸人の人口も増えた。そうすると彼らの間で用いられてきた、いわゆる「専門用語」的な言葉が飛び交う機会は増加し、芸人以外の人が聞く機会も上昇、多くの人によって話される結果となったのでしょう。
しかし、過渡期なので辞書編纂者みたいな言語の専門家によるカッチリとした定義づけはされていません。そのためか、最近になってこんなことを聞かれました。「『素』と『天然』の違いは何か」。もちろん、どちらもお笑い用語としての話です。
専門用語の中にはもともと存在していた言葉を別の意味で用いるパターンがあります。「素」と「天然」はまさにこのパターンですので、まずは参考までに国語辞典をあたってみました。
同じお笑い芸人発の言葉でも「素」とは異なり、「天然」のほうはお笑い的な意味まで辞書に入ってますね。このような差もまた、過渡期な感じがいたします。
お笑い専門用語としての「素」は「何も装っていない、自分本来の状態」みたいな意味合いで使われていることが多いです。「素」本来の意味には「他のものが加わらない」「ありのままの」がございますので、その辺りから流用されたのだと推測されます。
ネタをしたりロケをしたりバラエティではしゃいだりする時の芸人は仕事中であり、状況にあった言動を敢えてしているわけです。大半の芸人は家でくつろいでいる時とは違う性格を装っている。つまり、仕事をしていない、プライベートな状態の言動なり性格なりが「素」と呼ばれているんです。
仕事中の時でも思わぬ状況に遭遇すると、芸人としての自分がどこかへ飛んでいってしまい、本来の自分に戻ってしまう場合があります。この状態を「素が出る」と呼びます。「芸人としての人格に覆われていたはずの、本来の性格が出てきてしまった」みたいなイメージなのでしょう。
お笑い用語としての「天然」はもう辞書にも載っているので詳しい説明は不要でしょう。もともと天然は「人為が加わっていない」という意味があり、そこから人為的でないボケをする人またはそういうボケそのものを指すようになったのだと考えられます。
「素」と「天然」は両方とも「何の意図もない」であるとか「そのまま」みたいなイメージがあるため、改めてこのふたつのどこがどう違うのか考え始めると訳が分からなくなってくるのでしょう。実際、このふたつの言葉は条件を満たせば互いに置き換えることができるくらいには似た意味になっています。ただし、同じ意味ではありません。
「素」と「天然」の大きな違いは「行動の有無」です。「素」はあくまでも状態を示す言葉であり、「天然」は「意図せず変なことをしてしまう」という意味合いが強い。もちろん、状態を指す言葉としても使いますが、その場合も「天然なことをする人」という、あくまで行動前提の意味になっています。本来の意味での「天然」は状態を指す言葉でしたが、お笑い用語としての「天然」は行動も示す言葉になったわけです。
そうなった理由は、お笑い的な意味での「天然」は「天然ボケ」という言葉が略された単語である点にあるでしょう。ここでの「ボケ」は「おかしな言動をすること」という意味であり、行動を指す言葉です。「ボケ」が省略されても意味は残ったため、「天然」は意味に行動が伴っているわけです。
私に質問をしてきた方へこんな感じでダラダラ説明してもポカンとされるのがオチだと思いましたので、かなり端折って説明しました。きっと納得してくれたことでしょう。と思います。多分。
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