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アダ無スキー型UFO

 友人の話ですけれども、修学旅行先でお皿を作ったんです。と申しましても、現地ですることは粘土をこねてお皿の形を作るだけで、自宅に戻ってしばらくするとちゃんとしたプロによってしっかり焼かれたお皿が届けられるというシステムでした。

 お皿の形に作る以外は自由にやっていいと言われたところで、まず「お皿の形に作れ」という決まりが自由な創作に強力な制限をかけてるんです。男子学生に残された自由なんて、細い棒で模様をつけることくらいでした。

 友人はいろいろ考えた末、お皿の内側にでかでかと「無」の字を書くことにしました。当時、「無」は漫画やゲームでは結構かっこいい位置にあったんです。全てを無に帰す、みたいな感じで、無の力はどの創作物でも大体は強力なものであり、強大な敵が使うものでした。強大な敵ともなれば作者としても力を入れて作り上げるキャラクターとなりますから、まあどれもかっこいいんです。つまり、「無」にはとにかくクールなイメージが強かった。少年がお皿にでかでかと書くのも無理はありません。

 さて、修学旅行も終わりまして、旅の楽しさも忘れかけていた頃、身に覚えのない白い箱が届きました。中を開けてようやく思い出したんです。そう言えば、修学旅行でお皿を作ったんだと。

 作った時はちゃんとした形にしたと思っていたんです。しかし、届いたお皿は作った人が悪かったのか焼いた人が悪かったのかは知りませんが、全体的に形が歪んでいまして、丁寧に書いたはずの「無」の字は隕石が5~6発ほど直撃したアダムスキー型UFOみたいになっていました。アダムスキー型UFOとは、いわゆるベタな形のUFOでありまして、要するにとてもじゃありませんが、皿としては全然かっこよくない。

 お皿としても使用価値が低いほどの歪みっぷりだったので捨ててしまおうかとも思いましたが、母親からしてみたらせっかく息子が作った作品です。一緒にお皿を飾るスタンドを送られてきたこともありまして、居間に飾ることとしました。

 しかし、母親がある日確認すると、お皿がスタンドから外され、うつ伏せに置かれているんです。何しろ歪んだお皿ですからパタンと倒れたのでしょうか。そう思いお皿をスタンドに戻すも、何日か経つとまたお皿がうつ伏せに置かれている。

 しばらくして原因が分かりました。お皿の制作者である友人の仕業だったんです。「無」をでかでかとお皿に書いた事実だけでも恥ずかしくなってきているのに、更に「無」はボコボコにされたアダムスキー型UFOに変わり果ててしまったんです。恥ずかしさは少なく見積もって10倍は増幅されていました。「無」を見ると寒い思い出が蘇る。だから、「無」を見えなくするため、お皿をうつ伏せにしていたんですね。

 以来、私は「無」の字を見るだけでアダムスキー型UFOを思い出す身体になってしまいました。改めて強調しておきますが、これはあくまで私の友人の話です。

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