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建前PTA

 「人によって態度が違う」というと、あまりいい意味では使われませんが、みんな多かれ少なかれそういう部分はあると思います。赤の他人と自分の家族を全く同じ感じで接する人はまずいない。結果として、家の外と中では「同じ人間か?」と思うくらい態度が違う人も出てきます。

 ちなみに、私の父は私の中で有数の下品な人間に位置づけられています。自宅ということでリラックスしまくっていたからでしょう。私が子供だった頃はテレビでセクシーな場面に出くわすと子供がいようとリモコンをガッチリとキープして離しませんでしたし、私が風呂に入ると窓から母の下着を放り投げてきました。夫婦で美術館に行ったら裸婦画しか見なかったと母は嘆いておりました。

 こんな体たらくでちゃんと仕事ができるのか。不祥事を起こして会社をクビにされたりしないのか。子供ながらに不安を抱いたものですが、とりあえず、今もずっと同じ会社で働いています。

 何なら、私が子供の頃は余裕でPTAの役員をやってました。PTAと言えば、全身の毛穴からあくびが出そうな教養番組を勧め、この世の下品と暴力を体現するようなバラエティー番組を見せたくないと訴える組織のはずであり、父が入り込めるようなところじゃないはずなんです。品のない人類代表として、PTAを内部から破壊する任務を担ってたんじゃないかと半ば本気で疑いもしました。結局、父は役員をちゃんとやりとげましたし、PTAは今も存続しています。

 下品を極めし父がなぜ社会人として生活できているかと言えば、当然ながら外ではちゃんとしているからです。「人によって態度が違う」からこそ、父は公共の場で下品な動画を見ませんし、母の下着をばらまいて歩いたりもせず、真面目に仕事をこなしていたんです。

 そんな父でもPTAで活動できたんです。己の下品な部分を胸の奥にしまいこんで動き回る隠れキリシタンみたいな父母たちは、探せばもっといるはずです。あんまり欲望の赴くままにやってては角が立ちますし、子供の中には自分と同じように下品な大人になる人もいるだろうと知りつつも、親が率先して下品を教えるのは何か違うとみんな頭のどこかで思っている。

 そう考えると、一時期PTAが発表していた、子供に見せたくない番組も、なんか違った印象を受けるようになります。ものすごい建前感と申しますか、「楽しい気持ちは分かるけどね」的な本音が隠れてるように見えると申しますか、とにかく一枚岩じゃなかったんだなと。

 なんだかんだ、みんな要所要所ではちゃんとやろうとするもんですね。

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