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神様の腰を砕く

 詳しい経緯は忘れましたが、子供の頃、近所に住む親子で霊験あらたかな山の神社へ行ったんです。神社では絵馬が売っていまして、その場のノリでひとりひとつ絵馬を買って願い事を書き、奉納をしようという話になりました。

 私なんかは幼少期から欲望の権化でしたから、さっそく欲しいものを絵馬に殴り書きしたんですが、幼馴染の子、ここでは松城君としておきますけれども、松城君は絵馬を持ったまま固まっていました。願い事が思いつかないのか、思いついたけど書くのが恥ずかしいのか、とにかく筆の進む様子がない。

 他の人がすっかり願い事を書き終えたと知り、プレッシャーを感じた松城君はどうにかしてひとつの願い事をひねり出し、絵馬を奉納しました。当然、我々子供たちは松城君が何を書いたのかチェックしました。絵馬に書かれた松城君の願い事は以下の通りです。

ピストルで撃たれて死にませんように。

 そんなに願い事が思いつかなかったのかという畏敬の念を抱かせる欲求です。でも、松城君は真剣でした。「嫌でしょ、ピストル」。たどたどしくもあまりに熱のこもった主張に最初は茶化していた我々子供たちも「確かにピストルで撃たれて死ぬのは嫌だなあ」と納得するに至りました。

 大人になって分かるのは、日本で一般人がピストルに撃たれて死ぬなんて滅多にないことです。自分から紛争地か、それに似た場所へ突撃しなければまず遭遇しない。更に言えば銃はピストル以外にもライフルとかマシンガンとかいろいろあるのに、なぜかピストルに限定してしまった。結果として、ますます遭遇しづらい死因になってしまっている。

 絵馬を奉納された神様もお困りだったでしょう。絵馬は往々にして実現困難な願い事を書かれます。「億万長者になりたい」なんて金銭欲フルスロットルのものだったり、「世界が平和でありますように」といったやたら抽象的で規模がデカいものだったり。ナチュラルに身の程を知らない願い事だってたくさんあるはずです。そんな中にあって、松城君の願い事です。「え、そんなんでいいの?」という神様の戸惑う声が聞こえるかのようです。

 人は重いものだと思い込んで軽いものを持ち上げると腰を痛めやすいので危険だという話を聞きました。神様は人間から絵馬を通じて実現が困難な、すなわち「重い」願い事をを日々大量に送りつけられるわけです。当然、神様は日々そんな重い願い事を処理していることでしょう。一方、松城君の願い事は何もしなくたって余裕で叶いそうな「軽い」願い事です。日々重い願い事を処理し続けている神様がそのノリで軽い願い事に手を出したらどうなるか。神様もきっとプロですから間違いを犯さないとは思いますが、万が一にも油断をすると腰を痛めることにもなりかねないのではないか。

 松城君が絵馬を奉納したその日からしばらくの間、とある神社の神様は腰を痛めて変な歩き方になっていたのかもしれません。今更ですが松城君は神様の腰を砕いた男として今後も記憶に留めておこうと思います。

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