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お笑いの知識を転用する

 「転用」、すなわち本来の目的と異なる使い方をすることは、しばしばあるようです。例えば、GPSはもともと軍事目的で作られたものが平和利用されたとされています。

 転用はビッグプロジェクトばかりに当てはまるものではありません。カレンダーを丸めて壁のゴキブリに一撃食らわすのだって転用と言えば転用です。そう考えると、世の中は転用にあふれているのかもしれません。

 さて、話は急に変わりますけれども、ここでは澤田さんの仮名で呼んでいる知人がたまに登場します。彼女は私が唯一お笑いの話をする知人でございまして、たまに外で落ち合ってはお笑いの情報交換をしてそのまま互いに違う方向へ去っていく。そんなスパイまがいなことを繰り返しています。

 澤田さんは「お笑いで最も良くないのは『あざといこと』だ」と喝破します。お笑い的な意味での「あざとい」とは、要は「自分は面白いことをしてますよ」という気持ちが表に出てしまっている状態です。つまらない人は往々にしてその「これ面白いでしょ」が言動に漏れ出ている。

 ただ、意図的に笑いを取ろうとすれば、人はどうしても「面白いでしょ」が出ると思うんです。多分、「面白い」とされる人の多くは、その「面白いでしょ」がほとんど表に出てこない人なのだと思います。

 もちろん、「面白いでしょ」が一切出ない現象もございます。勘のいい方ならお分かりの通り、俗に「天然ボケ」または「天然」と呼ばれる、意図しない笑いです。天然が発動している本人は笑わそうとしていませんから、あざとさが全然ありません。だから、プロが逆立ちしても思いつかないような、人類にとって想定外の角度から攻めた笑いがポンポン出てくる。ハプニングによる笑いなんかがその典型でして、「インド人を右に」に代表される訳の分からない誤植が一例として挙げられます。

 意図的な笑いと天然は、判断がつかないものもございますけれども、逆に「これは天然だ」「これは意図的だ」と判断がつくものもあると思うんです。「インド人を右に」なんかは明らかに天然でしょう。理由は、ちゃんとした理性のある人間が意図的に思いつくような文章からかけ離れているからです。誤植でもなければ日常生活でまず出くわさない言葉ですし。

 誤植はあざとさがない、独特な面白さがあるためか、しばしばネタにされ、人々に楽しまれています。一方で、あざといウケ狙いをしてスベる事案も後を絶たない。つまり、天然かそうでないか、人はある程度見分けられると考えられます。

 あまりにあざいとウケない。とは言え、人は時に笑いを取りたい生き物です。自分が意図してやった言動がウケた時の快感は何物にも代えがたく、だからなのかお笑い芸人になる方が後を絶ちません。私だって質を問わなければ時に相手を笑わせようとしますし、澤田さんもまたそうなんです。澤田さんなんか、交番へ道を尋ねに行ったのに「警官を3回笑わせた」などと本来の目的を見失って帰ってきたことがあります。

 そんな私たちも年齢を重ねていくうち、共通の不安を抱えるようになりました。それは「普段から人を笑わせるためにやっているおかしな言動のせいで認知症の発見が遅れたらどうしよう」というものです。つまり、友人知人に「俺、なんて名前だっけ」と相談したら心配されるどころか「星野がまた笑わせようとしている」と思われ、結果として病気の発見が遅れるのではないかと心配になっているわけです。

 でも、お笑いについてあれこれ考えているうちに思ったんです。人間、お笑いに詳しかろうがなかろうが、天然かそうでないかはしばしば見分けがつく。先ほど書いた通りですね。

 症状は人の意図が介在しませんから、お笑いで言えば天然に該当します。例え、症状がコミカルな形で出てきたとしても、あまりにもあざとさが無くて「あれっ」と思われる可能性が充分に考えられる。特に認知症は多くの人が経験してきたこともあってか、初期症状がどんなものかかなり分かっており、検索するとその手のページがすぐに出てきます。

 言い換えれば、どういう「天然」が出やすいか判明している。そして、その「天然」は人がウケを狙おうと意図的にやる行動からは外れています。それこそ、ウケを狙う人が絶対にやらない、笑いにならない「天然」もあるように見えます。

 最近はお笑い芸人が過去最大級に増えております。そのため、「お笑い芸人だった方」も増えており、中には芸人というキャリアを活かして他業種で成功し、「元・お笑い芸人」の肩書で書籍を出したり講演活動をしたりされている方もいらっしゃいます。それどころか、今では現役のお笑い芸人が他業種へ笑いを活用しているのか、こんな書籍も出ております。

 つまり、「お笑い」もまた転用されているわけです。何も不思議なことはありません。笑いは昔から多くの人が日常会話からエンターテイメントに至るまで幅広く活用されてきています。つまり、転用されまくった歴史と言ってもいい。

 とは言え、「お笑いの知識」となりますと違うかなと、私は思っていたんです。「お笑いはあざといとウケにくい」なんて知ったところで、どこで何の役に立つのかと考えていたわけです。そんなこと知らずとも人はお笑い芸人のネタで笑えるわけで、実生活で活用できる場面はないのではないかと。

 しかし、少なくとも私や澤田さんのような、プロじゃなかろうとスベりまくろうとウケを狙い続ける人種を安心させる効果はあったようです。これもまた転用の一形態でしょう。

 やろうと思えば本当にどんなものでも転用できるのかもしれません。世の中は転用にあふれています。

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