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とにかく偏見がたくさんある

 ないと思っていてもあるし、あると思っていてやっぱりあるのが偏見です。私も自分自身に「やめろ」と言い聞かせているのですが、油断するとすぐに偏見の虜です。もう、心身にスッと偏見が入り込む。

 その日は最寄り駅に向かって歩いていたんです。すると、ゆったりとした速度の自転車が私を追い抜いてゆきました。載っていたのはご年配の男性だと後姿でも分かりました。自転車はいわゆるママチャリで、前と後ろにひとつずつカゴがある。どちらにもほとんど荷物は入っていませんでした。だから、気づいたんだと思います。

 後ろのカゴにはステッキが入っていました。手に持って歩行時に身体を支える役割を果す例のあれです。そこですかさず偏見が入ってきました。ステッキを使って歩く方でも自転車を運転できるのかと。

 ステッキを使って歩くということは足腰が弱られているに違いない。足腰が弱られているなら自転車で運転するのは難しいのではないか。私にはそんな偏見があったようです。でも、事実としてステッキを載せて自転車を運転している方がいる。まったく偏見には困ったもんです。認識を改めるべきだと思いました。

 歩行と自転車は同じ足でもメインに使う筋肉が違います。男性は歩行で使う筋肉は弱られているけれども、自転車で使う筋肉はムキムキなのかもしれない。

 いや、まだ偏見は取り去られてはいません。ステッキの持ち主が自転車を運転している男性のものとは限りません。奥様のものかもしれませんし、ご友人のものかもしれない。とにかく、ご本人はステッキなしでも余裕でバリバリ歩ける足腰をお持ちである可能性が考えられる。

 もっと偏見を取り払えば、そもそもあれはステッキだったのか、というところに行きつきます。ステッキの形をした別の何かかもしれない。実はステッキ型のガス銃で、温和な外見に油断している相手を次々とBB弾で撃ち抜いているのかもしれない。もしくはポケットに入らないという新しい形のポケットWiFiで、どこでもバリバリスマホを使っているのかもしれない。

 なんか偏見を取り除こうとすると大喜利みたいになっていくので、次の例はサラッとご紹介したいと思います。

 私が大学生だった頃、何となく自転車を走らせていますと、そばに1台の車が止まりまして中から男性が現れ、まっすぐこちらにやってくるんです。なんだろうと思っていますと、男性は必死な様子で私に話しかけました。でも、何を言っているのかまったく分からないんです。最初は外国語を話しているのかと思いましたが、それにしてはずっと繰り返しモゴモゴ言っている。何らかの理由で言葉が話せない方なのだと察しました。

 男性もそれは分かっているのか、手に持った紙を指さしています。紙はこの辺りの地図でした。どうも道を教えてほしいようです。男性が指さした地点は市役所で、赤いマーカーで丸がつけられている。ここが目的地なのでしょう。幸い、この辺りは私のよく知る場所でしたから、地図から現在地を簡単に特定できました。

 私が「現在地はここです」と言うと、男性はモゴモゴ言いながらうなずきました。こちらから話しかける分には全く問題ないようです。ならば、あとはいつもの道案内と同じです。しかも今回は地図がある。説明は簡単でした。

 説明を終えると男性はお礼らしきことを言い、車に乗って走り去ってゆきました。ちゃんと案内できてよかったと安堵した私でしたが、こんな時でも偏見が頭をもたげます。私、ついこう思ってしまいました。「しゃべれなくても運転はできるんだ」と。

 思い返してみれば、ただ運転するだけなら特にしゃべる必要はありません。もちろん、ガソリンスタンドなどで車に乗って誰かと話をしなければならない時はありますが、あの男性は人との意思疎通を取ろうと頑張れる方ですから、それも何とかなるでしょう。大変なのはドライブスルーくらいでしょうか。

 世の中には私なんかが思いもよらないことがたくさんありますし、それにもかかわらず私は多くの偏見を抱えている。一生のうちにどれだけの偏見が解消されるのかは分かりませんが、できるだけやっていきたいと思います。

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