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本当にある不思議な「著作権法」事件名⑥ 難解編

 何の気なしに著作権法の本を読んで知ったのですが、どうも法律の世界では過去の裁判を「〇〇事件」みたいな名前で呼ぶ場合があるようです。いろんな法律の本を流し読みした印象だと、法律によって判決に名前をつける・つけないの差があり、著作権法は非常によくつける文化圏のようです。

 何しろ裁判の結果ですから、多くは普通の事件名なのですが、調べてみると変わった事件名もチラホラありまして、思わず集めてしまいました。そして、せっかく集めたので、こうやって載せてみた次第です。

 事件名は次の書籍に載っているものから選びました。事件の内容についても多くはこちらを参考にしています。旧版も混ざっていますが、ご容赦ください。

著作権判例百選 第5版、有斐閣、2016
著作権法詳説 第10版、勁草書房、2016
著作権法入門 第2版、有斐閣、2016
著作権法 第2版、有斐閣、2016
著作権法 第4版、民事法研究会、2019

 また、上記書籍以外にも、各事件を説明する上で参考にしたサイトは事件ごとに記してあります。

 ちなみに、私は法律の素人ですので、説明の正確性については保証できません。ここでは主に事件名を楽しんでいただき、法律の知識が必要の際は専門家や専門書をご活用くださればと存じます。

 集めた事件名がそれなりの数になったので、ジャンルごとに分けてみました。今回がラストということで、パッと見、どんな事件か分かりづらいものを選んでみました。いわゆる「その他」とも言います。

 それでは参ります。

チューリップ・コヒノボリ事件(東京高裁 平成5年3月16日)

 「コヒノボリ事件」「チューリップ事件」という表記もありました。いずれにしろ、曲のタイトルが事件名になっております。裁判沙汰となった曲は他にもあったのですが、特に有名なものが上記の2曲だったため、このような事件名になったと考えれます。もちろん、「コヒノボリ」は屋根より高いあれで、「チューリップ」は咲いた咲いたのそれです。
 原告と被告、共に該当の曲の作詞者自分にあるとして争った裁判です。原告は10曲を作詞しましたが、当時は歌に作詞者を載せるという習慣がなく、また、満州事変が勃発するなど慌ただしい時代だったこともあり、原告作詞の曲は作詞者不明のまま発表されました。戦後になると音楽の著作権に対する意識に変化が現れ、JASRACが作者不明曲の作詞者・作曲者に対して名乗りを上げるよう呼びかけました。ただし、それは強制ではなかったため、原告は「みんなに歌ってもらえるならば」と名乗らなかったようです。そのため、作者不明の歌は被告の団体が著作権料を得ていまして、特に「チューリップ」「コヒノボリ」といった人気曲は同団体の重要な財源になっていました。そのせいもあったのでしょう、同団体は著作権が切れるのを防ぐため、同団体のトップを人気曲の作詞者してしまいました。これに原告が異を唱えまして、裁判となりました。
 作詞されたのが大正期だったため証拠となるようなものがほとんどなく、事実確認が難しい裁判でした。しかし、被告側は著作者でないにも関わらず、作詞者が団体トップであるかのように記された石碑をバンバン作るなど、態度に問題があったため、原告の訴えが認められました。裁判官の心証によって決まるというのは珍しいケースのようです。

参考サイト
日本ユニ著作権センター
http://www.translan.com/jucc/precedent-1998-09-28.html
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kondou_mi.html
かっけいブログ
https://kaxtukei.com/tulip-blog


博多人形赤とんぼ事件(長崎地裁 佐世保支部 昭和48年2月7日)

 「赤とんぼ」と呼ばれる博多人形による裁判です。そのため、「博多人形事件」「赤とんぼ事件」という名前の場合もあります。
 原告企業は「赤とんぼ」という博多人形を生産、その形は人形師が作り、人形絵師によって色付けされた本格的なものでした。被告がそれを丸パクりした人形を生産したため、裁判となりました。
 まず、美術を日用品に取り入れたものは「応用美術」と呼ばれていまして、主な特徴としては大量生産される点があげられます。それに対し、美術館に飾られるような一点ものの芸術作品は「純粋美術」と呼ばれています。美術作品が著作権法で保護されるためには創造性がなければならず、その点において「応用美術」は不利になります。また、大量生産されるものは「意匠法」という別の法律で保護される場合が多く、これもまた「応用美術」が著作権法で保護されづらい理由のひとつとなっています。ただし、本件は「応用美術」ではあるものの、美術工芸品として著作権法でも保護されるべきと判断、原告の主張を認めました。

参考サイト
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%94%A8%E7%BE%8E%E8%A1%93
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E5%8C%A0%E6%B3%95
INTERBOOKS
https://www.interbooks.co.jp/column/jpatent/20180118/
著作権法入門
https://www.law.co.jp/okamura/copylaw/chyo06.htm
長岡大学 生涯学習研究年報
https://core.ac.uk/download/pdf/70371455.pdf


私は貝になりたい事件(東京地裁 昭和50年3月31日)

 裁判の原因となったドラマのタイトルがそのまま事件名になりました。
 原告がテレビ局の社員に物語の原案を伝えたところ、社員は被告である脚本家を雇ってその原案をもとにドラマと映画を制作し、公開しました。しかし、クレジットに原告の名前がなく、被告が単独で脚本を書いたかのようになっていたため、裁判になりました。
 原告は、該当作品の脚本は自分と脚本家が共同で制作した「共同著作物」であると主張しましたが、「原案を社員に伝え、それをもとに被告が脚本を書いた」程度では共同で創作したとは認められないと判断されました。ちなみに、「私は貝になりたい」では裁判がもう1件起きていまして、こちらは作中における主人公の遺書が原告の手記の内容と酷似していたため、原告が原作者としてクレジットに名前を載せるよう訴えまして、こちらは原告の主張を認める判決が出ています。

参考サイト
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%B2%9D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84#%E8%A3%81%E5%88%A4
Weblio辞書
https://www.weblio.jp/content/%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%91%97%E4%BD%9C%E7%89%A9
大判例
https://daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E6%98%AD%E5%92%8C%EF%BC%94%EF%BC%99%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%83%AF%EF%BC%89%EF%BC%92%EF%BC%93%EF%BC%97%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA


あなたもまた虫である事件(知財高裁 平成28年12月26日)

 裁判になった映画のタイトルが事件名になっています。映画の上映しようとしていたイベント名を取って「ゆうばり映画祭事件」という事件名になっている場合もあります。
 原告は書籍の著作者です。被告が原告の書籍を映画化したいと原告にお願いしましたが許可が出ませんでした。それなのになぜか映画制作を本格化、映画祭での公開まで決めてしまいまして、原告側が裁判を起こしました。
 原作となった書籍は著者が受けた犯罪について書かれていました。つまり、事実を書いたものです。単に事実を書いただけだと、著作権で保護されるべき著作物の条件とも言える「作者の思想や感情を表現したもの」とは認められません。しかし、本件の書籍は被害を受けた時の「感情」などが描かれており、創造性のある表現として認定、著作権で保護すべきものとされました。よって、原告の著作を原作として用いた映画は著作権を侵害していると結論づけられまして、映画の上映は中止されました。

参考サイト
裁判所
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/415/085415_hanrei.pdf


地獄のタクシー事件(東京地裁 平成10年6月29日)

 「先生、僕ですよ」事件という表記もありました。「地獄のタクシー」は被告側のテレビドラマの名前で、「先生、僕ですよ」は原告側の漫画の名前です。
 テレビドラマ「地獄のタクシー」放送後に「先生、僕ですよ」の作者である原告が自分の作品に似ているとして訴えました。
 原作者に無断で「翻案」、つまりもともとあった作品を原作にして別の作品を作ったかどうかが争点となりました。結論としては、あらすじや一部表現については似ている点があったと認められてはいますが、両作品のテーマを始め細部の表現などは異なる点が多く、無断で翻案したと判断するには不十分だと見なされました。あらすじの保護を認めてしまうと似たようなあらすじの作品が作れなくなってしまうため、このような判決になったと考えられています。

参考サイト
知的所有権判例ニュース
https://www.hanketsu.jiii.or.jp/hanketsu/jsp/hatumeisi/news/199908news.html
日本ユニ著作権センター
http://www.translan.com/jucc/precedent-1998-06-29.html


生きる事件(知財高裁 平成20年7月30日)

 黒澤明監督作品の名前が事件名になっています。そのため、「黒澤作品のDVD化事件」という表記も見られます。
 著作権の保護期間は切れたとして黒澤明作品のDVDを販売する業者と、保護期間はまだ続いているとする著作権管理会社との間で起きた裁判です。旧著作権法の時代に発表された作品のため、原告と被告との間に法解釈の差があり、それによって裁判にまで発展しました。
 結論としては著作権管理会社側の主張が認められました。ちなみに、「生きる」の保護期間は2036年までとなっています。

参考サイト
日本ユニ著作権センター
http://www.translan.com/jucc/precedent-2008-07-30b.html


クラビクラ・まはらじゃ事件(高松地裁 平成3年1月29日)

 「クラビクラ」はパブの名前、「まはらじゃ」はラウンジの名前であり、そのふたつを繋ぎ合わせた事件名となっています。「まはらじゃ」はともかくクラビクラは何かと思って検索したら「鎖骨(clavicle)」と出てきましたが、店名との関連性は不明です。事件内容から「無断生演奏事件」の表記もございます。
 被告はクラビクラで著作者に無断でカラオケの機械を設置して商売し、まはらじゃではカラオケに加えてピアノでの演奏もしていたため、原告の団体に訴えられました。
 著作権法には「カラオケ法理」という考え方が存在しています。これは、店に置かれた有料カラオケ装置は店側ではなく客が演奏しているが、装置の設置者は店であり、装置で利益を上げているのも店であるため、著作権を侵害しているのは店であるというものです。本件では、「カラオケ法理」がカラオケスナック以外にも適用された事例となっています。

参考サイト
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AA%E3%82%B1%E6%B3%95%E7%90%86
日本ユニ著作権センター
http://www.translan.com/jucc/precedent-1991-01-29.html


終わりに

 いかがでしたでしょうか。いろんな名前があったことと思います。著作権関連の事件名は、事件のもとになった作品などがそのまま使われやすいため、不思議な事件名がたくさん登場していると推測できます。

 なお、当然ですがそれぞれの事件は原告・被告及び裁判所の方々によって真剣に行われたものです。そのギャップもあってか、不思議な事件名はより一層、目を引く名前となり、また魅力のあるものとなっています。

 長々と紹介して参りましたが、皆様がお楽しみいただけたのならば幸いです。本当にある不思議な「著作権法」事件名は今回で終了となります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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