見出し画像

せっかく呪いに対して前向きになったのに

 人間、なかなか理屈だけで動けないんです。論理的におかしくたって、感情的にそうなんじゃないかと思ってしまうんです。

 例えば、通勤途中で体調が悪くなった時です。もう目の前が徐々に黄色くなり、吊革を握る手の力が徐々になくなってゆく。冷房ガンガンの車内にもかかわらず、全身汗ぐっしょりです。車内でぶっ倒れては堪らんとばかりに駅へ降りまして、椅子で休むこと5分。幸いにも調子が戻ったのでそのまま職場へ行き、どうにか働いて家に帰った次第です。

 無事ではあったんですが、非常に危ないところでした。次の駅までの数分が異様に長く感じる体調不良なんて二度と経験したくはありません。だから、より思うわけです。また似たような体調不良が起きたらどうしようと。

 すると、不安は体調不良になった時に近くなるほど増大するわけです。あの時と同じ路線、同じ車両、同じ服装。共通点が増えるほど、自分の体調が気になって仕方なくなる。

 理屈から考えて、そんなはずがないんです。あの時と同じ車両に乗ると体調不良になる確率が上がるなんて、まずありません。路線や服装もまた同様です。でも、あの時と似た状況であればあるほど、また体調が悪くなってしまいそうな気がする。

 特に私が意識してしまうのは服装です。体調不良になった時に着ていた服、それを着て出かけるたび、また電車内で倒れるんじゃないかとの不安が自動的に脳裏をよぎるようになってしまいました。ちょっとした咳とか、そういう私の中の全ての生理現象が大病の兆しなんじゃないかと思えてしまう。ここまで来ると一種の呪縛です。自分で自分に呪いをかけているようなものです。

 その服を着てる時に限って、引き寄せられるように気持ち悪くなった時と同じ車両に乗ってしまうんです。もう電車に揺られる振動さえ眩暈に思えて仕方がありません。あの時とは異なり完全な健康体にもかかわらず、ひたいには脂汗が浮かんで参ります。

 しかし、そこで思ったんです。もし着るだけで体調不良になる服があったとしたら、会社や学校へ行きたくない日に着ればいいじゃないかと。そうすれば、ちゃんと体調不良になって休めるわけです。仮病でもない、れっきとした体調不良なんです。服を着るだけで自在に身体を壊せるなんて、サボりたいみんなの味方とも言うべき画期的なアイテムじゃないですか。

 服の活用法を前向きに検討し始めた途端、不安は私からドンドン離れてゆきました。せっかく自分にかけた呪いを逆手に取ろうと思ったのに。世の中、うまくいかないものです。いや、これはうまくいったと言うべきか。もうそれすらよく分かりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?