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トリオ漫才はなぜ少ないか

 国内で最も大規模なお笑い賞レースはM-1グランプリで間違いないでしょう。去年は6017組、言い換えれば約12000人が参加したことになります。

 これだけいれば、全ての漫才師のうち、何割が何人組なのか調べるのに充分な数と言えるでしょう。幸い、M-1グランプリは公式サイトで「コンビ情報」が公開されており、2015年以降に参加した組のデータが全て保管されています。検索機能もついていて非常に使いやすい。というわけで、早速、調べてみました。

 今回はM-1グランプリ公式サイトの「コンビ情報」に登録されている全ての組、つまり2015年から現在までにM-1グランプリへエントリー経験のある全組を対象に調べました。現在、解散などで活動していない組も含みます。公式サイトに準じて、事務所に所属している「プロ」、事務所に所属していない「フリー」、プロでない「アマチュア」の3種類にも分けてみました。

 同じ組にプロ・フリー・アマチュアが所属している場合、プロがひとりでもいれば「プロ」、フリーとアマチュアが存在する組は「フリー」、アマチュアのみの組は「アマチュア」に分類されているようです。

 では、参ります。

2人:17142組(プロ:5476組 フリー:1409組 アマ:10257組)
3人:717組(プロ:321組 フリー:49組 アマ:347組)
4人:37組(プロ:20組 フリー:0組 アマ:17組)
5人以上:17組(プロ:10組 フリー:0組 アマ:7組)

合計:17913組(プロ:5827組 フリー:1458組 アマ:10628組)

 ちなみに、割合はこんな感じです。

2人:95.70%
3人:4.00%
4人:0.21%
5人以上:0.09%

 何となく察していましたが、コンビが圧倒的に多いですね。トリオとなると文字通り桁違いに少なくなる。プロに限定しても、トリオ以上の組数はプロ全体の10%に満たない。

 ちなみに、5人以上の内訳は次の通りです。

5人:11組(プロ5組 アマ6組)
6人:2組(プロ2組 アマ0組)
7人:0組(プロ0組 アマ0組)
8人:0組(プロ0組 アマ0組)
9人:1組(プロ1組 アマ0組)
10人:1組(プロ1組 アマ0組)
11人:0組(プロ0組 アマ0組)
12人:1組(プロ1組 アマ0組)
13人:0組(プロ0組 アマ0組)
14人:1組(プロ0組 アマ1組)
15人:0組(プロ0組 アマ0組)

 5人以上はユニットの場合が多く、通常時も活動している組としては超新塾の6人が最大と思われます。

 ちなみに14人組のアマチュアは「さんしろうS・U・W・O吹奏楽団」という組で、これが現在のところM-1の1組における最大人数記録です。

 漫才はコンビが圧倒的に多いのはどうしてでしょうか。いろいろな理由があるでしょうけれども、個人的には成り立ちにヒントがありそうでしたので、今回はそこから理由をいくつか探してみます。

 漫才の大元は新年のお祝いで用いられる話芸として、一説には奈良時代、少なくとも平安時代から長らく受け継がれてきました。話芸とは言いつつも、胡弓・鼓・三味線といった楽器の他、扇子も用いていたようです。この頃は「萬歳」と表記されていたとのこと。18世紀になると、儀式的側面が強かったこれまでの萬歳とは異なり、2人組の会話で笑わす芸へと変化してゆきますが、やがて落語などに押されて衰退してゆきます。

 幕末になると胡弓・鼓・三味線といった楽器を用いながら喋る芸として、主に寄席で復活します。この頃は「万歳」と表記されていたようです。ただし、落語メインの状況は変わらず、寄席でも添え物としての役割が強かったようです。

 現在の「漫才」への転換点は昭和初期のコンビ「横山エンタツ・花菱アチャコ」であるというのが定説です。楽器が苦手だったふたりが背広を着て、話術だけで勝負するという手法を編み出し、人気を博しました。これまで楽曲の繋ぎと見られていた「喋り」をメインに持ってきて、これまではあまり重視されていなかった「笑い」を狙ったスタイルとして確立。以降、表記は「漫才」となり、喋りメインのものを指すようになってゆきます。戦後にはテレビの普及もあって多くの漫才師が世に知られることとなり、何度かのブームを経て現在に至ります。

 コンビが多い理由として、個人的には重要なポイントが2つあると考えています。ひとつは横山エンタツ・花菱アチャコの時点からふたりの会話として確立されていた点、もうひとつは漫才が演芸の流れをくんでいる点です。

 まずひとつ目ですが、前出の通り、「漫才」は「ふたりによる面白い会話」から始まり、そのままドカンと売れてゆきます。追随する方々も当然「じゃあ僕らもふたりで」となるでしょう。人が集まれば知識や経験が蓄積され、スキルとなって後世へ受け継がれます。もちろん、トリオ漫才もあったようですが、漫才は「ふたりの会話」から生まれたものですから、3人に改造する必要がある。2人乗りの車を3人乗りに改造するようなもので、手間がかかります。手間がかかれば追随者は減り、知識や経験が蓄積されづらい。当然、発展しづらくなります。実際、「脱線トリオ」や「てんぷくトリオ」といった昭和に活躍したトリオ漫才師のネタは事実上コントのようなものだったそうです。

 ふたつ目はコントと比較する必要があります。コントはそもそもフランス語で「寸劇」を意味しており、どことなく西洋演劇の香りが漂う名前となっています。

 日本における黎明期のコントで重要な人物としてエノケンこと「榎本健一」が挙げられます。萩本欽一さんによると、コントの多くは榎本の一座から生まれたとのこと。そんな榎本は幼少期によく浅草で舞台に親しんだこともあってか役者を志し、いわゆる「浅草オペラ」で初舞台を踏みます。そこで役者として活躍する中で、いつしか喜劇役者を目指すようになる。つまり、コントは西洋演劇にルーツを持っていると言えましょう。

 ですから、コントは一般的な演劇と同じように舞台装置を使用します。ネタによって異なる衣装に着替え、大道具や小道具を用いる。暗転・明転、音楽を使う場合も珍しくない。

 演芸の流れをくむ漫才は違います。例外は数多くあれど、基本的にはネタに合わせた衣装はなく、大道具はもちろん、小道具も使わない。舞台装置も使わず、あるのはマイク一本。ほぼ身ひとつでネタをする。ネタ中に音楽をかけることもまずない。ただし、お笑い芸人の中には出囃子を持つ組があり、漫才師も登場時に出囃子として音楽を流すことは珍しくありません。この出囃子もまた演芸の文化だと考えられます。

 コントは漫才と比べてトリオが活躍しやすい形式です。コンビに比べてトリオが少ないのは漫才と同じですが、キングオブコントでは現在、東京03、ロバート、ハナコと3組のトリオが優勝しています。一方のM-1は全てコンビが優勝している。

 前出の通り、漫才はスタートから「ふたりの会話」を前提に作られた側面が強く、コンビと比べてトリオとの相性は良くありません。気をつけないと、ふたりが会話している間、ひとりを遊ばせてしまうという現象がすぐに起きてしまいます。一方、コントはそうならない。演劇のように、登場させる必要がないならば舞台からはけさせる、つまり舞台袖に引っ込めることができるからです。

 なぜそうなっているのかは不勉強のため存じ上げませんが、漫才で舞台からはけるのは基本的にネタが終わった時です。落語など他の演芸もその傾向が強いことから、演芸の文化ではないかと推測されます。とにかく、漫才は舞台に現れて、ネタをして、舞台袖に消える、という形式に沿っている。話すことがないからと言ってひとりが舞台からはける文化が極めて薄く、現在でもネタ中に舞台袖にいなくなる漫才は非常に少数です。

 以上をまとめると、漫才は3人の会話では成立しづらく、ふたりで充分な場面でも舞台袖に引っ込められず、ひとり余らせた状態でネタを進行しなければならない。トリオ漫才はこのような問題と向き合わねばならず、結構な足枷となります。必然的にやろうとする人は少なくなるでしょう。

 それでも、3人以上の漫才で挑む人たちは常に少数ながら存在し、M-1でも準々決勝までは数組残る状況が続いています。彼らはトリオ漫才の問題を乗り越えようと必死になるあまり、面白いシステムを作り上げたりするので、見ていて楽しいです。

 個人的には今後も3人以上の漫才が続いていって欲しいです。前出の14人組「さんしろうS・U・W・O吹奏楽団」は公式サイトの画像を見る限り、みんな楽器どころか楽譜も持参しており、漫才らしさに欠けると思われるかもしれません。しかし、前出の通り、「万歳」以前の時代はむしろ楽器がメインでしたし、更にさかのぼって「萬歳」の時代は多い時で十数人の組で披露していたそうです。つまり、「さんしろうS・U・W・O吹奏楽団」だって古代まで考慮に入れれば全く問題ない。むしろ、伝統的な視点では王道とすら言える。

 今年のM-1もいろんな試みがあって欲しいものです。

 今回はウィキペディアとコトバンクの該当記事を参考に書かれております。間違いがあった際には、ご指摘くだされば訂正いたします。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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