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洗濯機下のスイートスポット

 以前、アパートの1階に住んでいたんです。近所は猫の多い土地柄なのか、特に夜、仕事から帰ってくると高確率で見かける。

 とある初夏の夜、涼しいそよ風を入れようと、カーテンも閉めず、窓全開でスマホを触っていました。そうすると、網戸越しに動くものが見えたんです。パッと横を見ると柵の上を歩く黒猫もまた私をジッと見ていました。

 翌日、ドアを開けた瞬間、足元で何かがぶつかるような音がしました。不思議に思いながら外に出ると、ちょうど黒猫が一目散に走り去っていくところでした。たぶん、私の部屋の前で寝そべって休んでいたのでしょう。そこに私がドアを開けたものだから、それがお尻にでも当たってしまい、全速力で逃げたのだと思われます。

 そんな感じで猫とニアミスする生活を続けて来たんですけれども、とある休日の朝、ものすごい声で目が覚めました。2匹の猫が威圧的な声で鳴き合っているんです。喧嘩しているのだとすぐ察しました。声は窓の外から聞こえているようです。

 静かに外の様子をうかがいますと案の定、2匹の猫が互いに顔を近づけて睨み合っています。口を開けて鳴く猫たちは牙を隠そうともしません。まさに臨戦態勢です。

 片方の猫は初めて見る黒ブチ猫でした。そして、もう片方は私にドアで尻をぶつけられた黒猫でした。当時のアパートは外に洗濯機を置くスタイルだったんですけれども、黒猫の下半身は洗濯機の下のわずかな隙間に入っている。

 窓越しにしばらく観察していたんですが、2匹の猫はたまに思い出したかのように威圧的な声をあげるだけで、特に噛みつくでもなければ引っ掻くでもない。綺麗な膠着状態です。

 最初は猫たちの勝負に水を差すまいと私は部屋の中で静かにしていたのですが、それが30分も続くとさすがに思うところが出て参ります。何で私が猫に気を遣わなければならないのか。そもそも猫が喧嘩している場所は私がお金を出して借りているわけで、何なら洗濯機は私が買ったものです。それを猫が取り合うのは絶対に違う。せっかくの休日に朝から洗濯する権利くらい私にだってあるはずです。

 とにかく私が遠慮するのは絶対に違う。そう結論づけました私、思い切って窓を開けました。すると、猫は2匹とも私の方を全く見ず、物凄いスピードで別々の方向へ逃げていきました。

 これで安心したのも束の間、1週間後には再び例の威圧声が2匹分、外から聞こえて参りました。気配を消して窓から外を見ますと、先週と同じ2匹が、先週と同じ体勢で領土を取り合っています。しかし、その日は洗濯物がなかったこともあり、勝負の行方が気になったんです。どちらの猫が、洗濯機下のスイートスポットをゲットするのかと。

 2匹は相変わらず互いの目をガン見しながら威圧的に鳴くだけです。いつどちらが飛びかかるのか静かに注視していた私ですが、ガン見して鳴き合っているだけで勝負がついたようです。どちらも鳴かなくなったなと思うや否や、ブチ猫が尻を向けて退散したんです。黒猫の勝利です。それからブチ猫が洗濯機周りに現れることはなくなりました。

 しかし、領地を確保して安心したのか、それから黒猫が洗濯機下でくつろぐ姿を一度たりとも見なかったんです。どういうことですか黒猫よ。私の洗濯機は他の猫を追い出してまで確保しておきたいスイートスポットじゃなかったんですか。

 結局、黒猫がスイートスポットを使うことはなくなり、そのまま私は引っ越してしまいました。何なら洗濯機だって買い替えてしまった。

 新しい洗濯機が届いた時、私はいち早く下のスペースをチェックしました。新しい洗濯機は前のものに比べて下のスペースが狭く、紙のように薄い猫でもない限り入れません。つまり、もう猫たちは私の洗濯機下を巡って争うことはないんです。

 安心するかと思いきや、ちょっと残念な気持ちになるとは思いませんでした。

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