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相同行為と相似行為

 相同器官と相似器官というものがあるわけです。

 相同器官はもともと同じものだったのが、進化の過程で全然別の器官になってしまったものを指します。例えば、人の手とクジラの胸びれは、もともとは同じ働きをした部分だったのが、進化した今では全然違う働きを担っている。

 相似器官はもともと違うものだったのに、進化の過程で似たような器官になってしまったものを指します。よくあげられるのは鳥の羽と虫の翅です。どちらも今では空を飛ぶ働きをしていますが、鳥の羽はもともと前足で、虫の翅はもともと外骨格だったそうです。

 つまり、相同は「元は同じだけど今は全然違う」、相似は「元は違うけど今は似ている」という意味があるようです。

 ところで、冬になりますと、実家からミカンが送られてきます。父の友人がミカン農家のため、売るには形に難があるものを譲ってもらってるようなんですが、実家でミカン好きが父しかいない。父は仕方なく家のミカンを食いまくってたら手が黄色くなってしまったとのこと。何を言ってんだと思った私でしたが、「柑皮症|《かんぴしょう》」という名前がついている現象のようです。

 健康に害はないようですが、栄養バランスは綺麗に偏っていますから、あんまり食い過ぎは良くないと思ったそうです。何か対策を考えた末、同じくミカンが好きな私の顔が浮かんだとのこと。「お前も柑皮症になるのだ」と遠回しに言われているようで素直に喜べませんが、ミカン好きは事実なので毎年送ってもらっています。

 送られた分は大体全部食べてるんですが、今のところは柑皮症になる気配はありません。父は普段どれだけ食ってんだって話ですけれども、一方で、私にも短期間で一気にミカンを食べられない事情があるにはあります。それは「すぐトイレに行きたくなる」という理由です。

 特にお腹を壊しはしないんです。むしろ、ミカンは繊維質豊富ですから、ちゃんと出るんです。ただ、たくさん食べるとその分だけ出す回数が増える。つまり、トイレに行く回数が増える。この手の衝動は自分の意思ではどうにもなりませんから、仕事中だろうが何だろうがトイレに行かねばならない。それが面倒で、あんまりたっぷり食べられない。特に、翌日に仕事がある日はそんなモリモリ食べられませんし、夜になればなるほど食べる量は控えるようになります。とは言え、ミカンを腐らせるわけにはいきませんから、毎日ちょっとずつは食べる。ペース配分に気を遣うことでトイレタイムの調整を図っているわけです。

 そんな調整もそれなりにうまくいってきた昨今、職場で同僚と立ち話をしていました。その同僚はとにかくお酒が好きで、奥さんと出会った場所が馴染みのバー、年末年始は夫婦で知り合いのバーを徹夜ではしごしまくる人でございます。

 お酒好きの宿命か、お酒に関するトラブルもボチボチありまして、二日酔いのローテンションで仕事をする、健康診断に引っ掛かる、酔って転んで怪我をする、などなど、私が知るだけでも結構やらかしています。他人に絡まないのは不幸中の幸いですが、まあ改めた方がいいに決まってる。

 本人もそれはよく分かっているようで、先日は転倒で作った腕の痣を見せながら私に「今後は酒を控える」というような、今まで何度も聞いてきた宣言を改めてしてきました。ただ、今回は彼なりに現実味のある計画を考えたようです。

「休肝日は作らない。そんなことするとかえって調子が悪い。毎日ちょっとは飲んだ方がいい。ただし、翌日に仕事がある日は酒を控える」

 当時は冬ということもあって、私は「何だか自分のミカン消費計画と似ているな」と思いました。元が全然違うけど今は何か似ている。そんな「相似」の関係性はそこら中に転がっているんだなと、なんか妙に感心してしまいました。

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