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専門家の奇妙な感覚

 専門家と呼ばれる方々が世の中にはいます。

 そういう人がなるのか、それとも環境が人を変えるのかは分かりませんが、専門家はどうも変わってる方が多い気がする。身も蓋もない表現をすれば世間とズレているとも言える。

 専門家に対面する機会がないので分からないと仰る方もいるでしょう。いやあ、探せばいるんですよ。黙ってるだけで、裏で淡々と知識を集めている方が。たまたま専門分野の話題になった途端、堰を切ったように喋り出して「ああこの人これに詳しいんだ」と知る時もあれば、何かの縁で家にお邪魔したら使い方もよく分からない楽器が大量にあって判明する時もある。

 まあ、そんな他人の秘密を暴くようなことをしないでも、世の中には読み物という便利なものがあります。例えば本ですね。専門家の書いた本は現在に至るまで大量に出版されていますので、書店でも図書館でも、本のたくさんある場所に行けば専門家と出会うのには困らない。

 もちろん、専門家の出す本の多くは、彼らの専門分野に関するものでしょう。しかし、よくよく読んでいると、ふとした時に著者自身のエピソードがちょろちょろ出ているんです。これがまた専門家ゆえのズレた感覚を感じられて面白いんです。

 例えば、先日はキノコの専門書を読んでいたんです。著者はもうずっとキノコの研究を仕事にしていた方で、休日になれば夫婦で山へキノコを採りに行くという、まさにキノコ尽くしの人生です。

 当然ながら知り合いも同好の士が多いわけです。キノコ学会の権威からキノコ研究を始めたばかりの若手まで、キノコを通じた縦社会の中で知り合った人はもちろん、キノコのイベントへ出てキノコの愛好家たちとも交流を持ったりもしている。これで世間と感覚がズレなかったら嘘です。相当に強靭な精神を持っていない限り不可能でしょう。つまり、心身共にキノコ方面へズレていく運命にあった。

 キノコの専門書なので、基本はキノコの知識が書かれています。しかし、やっぱり閑話休題として著者のエピソードがサラッと出ている。

 ある日、著者はキノコ学会の権威から食用キノコをもらったそうです。早速、調理して夫婦で食べると数時間後に猛烈な腹痛が。2階のトイレに著者が、1階のトイレに著者の妻が駆け込み、数時間は外に出られなかったそうです。

 あのキノコのせいだと著者はピンと来たそうです。しかし、くれたのはキノコ学会の権威、形のよく似た毒キノコを間違って寄こしたとは考えづらい。そこで著者は推測します。よく似た毒キノコは毒と言っても腹を壊すくらいで命にかかわるものではない。それを知っていたからこそ、敢えて毒キノコを渡すイタズラだったのではなかろうかと。

 もしそうだったとしたら普通に傷害事件という気もしますが、著者は全くそうとらえていません。むしろいい思い出として懐かしみ、こんなような文章で締めくくります。「今となっては彼もこの世から旅立ち、本当にイタズラだったのか確かめられはしない」。ご本人が気にしないならいいとは思うんです。もうお腹も大丈夫でしょうし。ですが、読んでる私は「被疑者死亡のまま」なんて失礼な文言が頭をチラつくんです。いや、微笑ましく感じる余地はあるとは思うんですが。

 専門書の活用法としては間違っているのだと思います。

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