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「杉本高文を食べてしまった明石家さんま」という「アイドリング」

 明石家さんまさんが苦手な友人がいるんです。理由は「ずっと無理してる感じがして、見ていてつらい」から。明石家さんまさんと言えば、テレビだけでなくプライベートも明るく面白い人として有名な方ですが、友人によると「そこも無理している」という。

 そこで思い出したのが「明石家さんまは杉本高文を食べてしまった」という言葉なんです。検索すると「杉本高文を飲み込んだ明石家さんま」という言葉がチラッと出てくるんですが、それ以上の情報が出てきませんでした。誰が言ったのか、本当に言ったのかも分かりませんけれども、食べたにしろ飲み込んだにしろ、その言葉は個人的に納得できるんです。納得できるんですというか、そうでも考えないと桁違いすぎるんです、さんまさんは。

 「杉本高文」とはご存じ明石家さんまさんの本名でございますけれども、上記の言葉は要するにプライベートの人格をオフィシャルな人格が飲み込んでしまったという意味だと私は考えています。普通の人間は、例えば自宅で家族といるときの人格と外で仕事をしているときの人格は必ずしも一致しません。大きな差がある人だって珍しくはない。稀にプライベートの人格をほとんど保ったままオフィシャルな場面に出てきても平気な人がいます。明石家さんまさんはその逆であり、もっとレアな人だと思われます。

 友人は更に言います。「彼はずっとアイドリングしているに違いない」と。本来の意味のアイドリングは「機械などがすぐ動かせる状態を維持しておくこと」です。よく言われるもののひとつに自動車がありますね。自動車におけるアイドリングはエンジンがかかったまま停車していることを指しまして、アクセルを踏めばすぐに発車できる。その代わり、エンジン自体は動いたままなのでガソリンは消費されています。それをさんまさんに当てはめると、いつでもオフィシャルな面白いさんまさんが出せる代わりに、常に余計なエネルギーを消費していることになる。無意識のうちに神経をとがらせているとも言える。

 人間にそんなことができるのか。さんまさんほど極端ではないにしても、普通の人間もやっていると友人は主張します。例えば、「何かのアイデアをずっと考えている人は、全く別のことをしているときにも無意識のうちにアイデアの種を探している」と。何気ない行動でアイデアがパッと思いつくのは人の心理にそういう機構があるからだというのです。あくまで個人の主張ではありますけれども、なんか納得させられる考えです。

 さんまさんは四六時中面白いことを探している方でしょうし、いつでも面白い返しをしようと心のどこかで構えている方に違いありません。更にさんまさんと言えばプライベートで声をかけられてもきちんと対応してくれる人として有名です。常に芸能人であろうとする姿勢を貫こうと、遠い昔に決めたのかもしれない。いくつものアイドリングをしているのが明石家さんまという人物であるとすれば、その分、無意識下で常に普通の人より気を張っているとも言える。友人の「無理をしている」という感想は、この辺りを根拠にしているのかもしれません。

 とは言え、さんまさんは今までそれでずっとやってきたわけですから、全然無理ではないのかもしれません。もしくは、無理はしているけど、休息を取ってうまく乗り切っているのかもしれない。もともとさんまさんはあまり寝なくても平気な人だと知られていますし、幼少期から周囲の人間を笑わせようとしていたことでも有名です。ウィキペディアで「明石家さんま」の項目を見てみると、授業中だろうが運動会だろうがウケを狙う姿を見て教師がさんまさんに吉本興業を勧めたというエピソードが書かれています。さんまさんは昔から面白いことを見つけ、実践しようとするアイドリングの癖がついていて、そういう人間に合った仕事としてお笑い芸人を勧められたのでしょう。

 当然、お笑い芸人になってから身につけたアイドリングもあるでしょう。そうやって、四六時中ウケを狙おうとするアイドリングをいくつも心に取り込み、杉本高文という人間をじわじわと侵食していった。杉本さんが学生だった頃、まだその侵食するものに名前はつけられていませんでした。やがて、その侵食するものを活用して仕事をするようになった。そこで初めて侵食するものに名前がつけられたんだと思います。ええ、もちろん「明石家さんま」と。

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