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改名のためならあの世へも行くか

 言葉は読まれるものである以上、どうしても読みやすさがついて回ります。名前もまた同じで、誰でも初見で読める名前から、暗号のほうがまだ読みやすい名前まで、当然出てくるわけです。しかし、どんな読みづらい名前でも覚えなければならない時がある。

 末弘厳太郎という人物がいます。大正から昭和の時代に活躍した法学者で、特に民法の研究で名を遺した人物です。現在では当たり前のようにおこなわれている判例研究の重要性を訴え、国内に定着させた功績があり、日本の法学を語る上で外すことができない大人物、つまりは法学の有名人です。

 「末弘」という苗字も珍しいですが、何よりも「厳太郎」と書いて「いずたろう」と読むその名前です。特殊な読み方のため、覚えるのに脳の負担を必要とします。しかし、大人物ゆえに覚えなければならない時がある。私の身にもその時が降りかかったので、がんばって名前を覚えていたのですが、そうやって脳に負荷をかけている私に対して同僚がのんびりした声でこう問いかけました。

「何これ、ガチ太郎?」

 困るんですよ。人が一生懸命覚えようとしている段階で、本家を超える名前を言われるのは。大正・昭和を代表する法学者の名前が、ガチから生まれた少年みたいな名前に上書きされかねない。それどころか、川上から大きなガチがどんぶらこ、みたいなくだらない文章まで思いついてしまい、ガチ太郎とセットで邪魔してくる始末。

 オリジナルの名前はどうにか覚えたんですが、末弘先生の名前を思い出すたびにガチ太郎がまとわりついてくるようになりました。何ならガチ太郎のほうがいいんじゃないかとすら思えています。もしタイムマシンが発明されたら即座に末弘先生ご存命の時代へ馳せ参じ、「先生、改名しませんか。ガチ太郎。70年後くらいの青少年にウケる名前っすよ」とご提案したい所存です。

 何なら今からでもあちらの世界の末弘先生にご提案したい。あの世へ行ったらまずやりたいことリストに加えておくとします。

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