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訳が分からない川

 私の通っていた中学校のそばには細い川がありました。その川が印象深かったんです。もう訳が分からなさすぎて。

 中学生だった私は毎日のようにその川のそばを通って登校していたわけなんですが、日によって川の色が全然違うんです。抹茶のような色の時もあれば、ピンクの時もありますし、水色の絵具をぶちまけたような感じの時もありました。七色の川と言うにはあまりにもカラフルで、もう誰かが毎日違う入浴剤を川にぶちこんでいるとしか思えませんでした。

 見た目は派手で、「綺麗」という感想を抱く余地があるくらいでしたが、自然の川としては汚染されまくっていると言えましょう。事実、私の同級生は口をそろえて「あの川はヤバい」と言っていました。

 しかし、そんな川でも魚が普通に群れをなして泳いでいるんです。水は軽薄なショッキングピンクなのに、たくさんの魚が余裕な顔してスイスイ泳いでいるように見える。桁外れに対汚染耐性がついた魚なのか、それとも見た目ほど毒性がない川なのかは知りませんが、毎日色が変わる川でもそれなりの生態系が保たれているようなんです。

 そんなある日、例によって私が川の水を確認すると、その日は何と非常に澄んだ透明の水が流れていました。いや、もちろん毎日のように色を変える川ですから、透明な日があってもいいはずなんですけれども、深さ数十センチとは言え川底が見える時なんて年に何回もありませんので非常に驚きました。こんな日もあるのかと。

 魚たちはさぞ喜んでいるだろうと思ったんですが、これだけ川底までスッキリ見えるのに魚の姿が全くないんです。一体どういうことなのか。立ち止まって考えていては遅刻してしまいますので、とりあえず中学校に向かっていたわけなんですが、やがて川の先で異変がありました。魚の死体が大量に浮いてたんです。

 もちろん異様な光景でしたし、驚きもしたんですが、入浴剤のような水の時は元気に泳いでおきながら、なぜ綺麗な水になると大量死するのか全く理解できませんでした。更によく分からないのが、魚が大量死しておきながら近隣住民が誰も騒がないところでした。大人も子供もみんな「まあ、あの川じゃしょうがないよな」みたいな態度だったんです。

 周囲がそうだったので、私もそんな感じで特に異常とも思っていませんでした。「こんな日もあるよな」と、ちょっとした大雨くらいの自然現象に考えていました。だいぶあとになって、テレビやネットでどこかの川の魚が大量死しているというニュースを見て初めて「あ、あれって本当はニュースになっていいような出来事だったんだ」と思ったくらいです。そもそも、あの時だって別に川の魚も全滅したわけじゃなかったらしく、次の日にはレモン色した川をスイスイ泳ぐ魚の群が確認できましたし。

 とはいうものの、その川の汚さはやはり地元自治体も問題視していたようで、川を綺麗にする工事をするという計画が立ち上がりました。工事が終了する頃には、私は中学どころか高校も卒業してしまうくらい長期にわたる工事だったと記憶しています。その計画を知った私の友人が、こう吐き捨てたのをよく覚えています。「そんな工事であの川が綺麗になるわけがねえ」。川の汚さに絶対の自信を持っていたからこその感想でしょう。

 それから私は地元を離れてもうかなりの時間が経ちました。たまに帰省しても通っていた母校には一度たりとも立ち寄っていませんけれども、その近くを流れている例の川の様子だけは何年かに1回のペースで見に行っています。もちろん、主な感心ごとは川の色です。

 今では川の工事がすっかり終了し、川沿いには綺麗な柵や街灯が並んでいます。しかし、私はそんなデコレーションには騙されません。水です。水の色がどうかが大切なんです。

 結論から申しますと、川の色は普通になっていました。と言っても決して綺麗な水ではなく、川底が全く見えない、ただの汚い川になっていました。しかも、いつ見ても同じ色です。

 まあ、日替わりで色が変化していた頃よりは綺麗になったと言うべきなのでしょう。工事がうまくいったのか、周辺住民の環境意識が向上した結果なのかは知りませんが、それはそれで良かったんじゃないかと思います。

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