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時空を越えるいびき

 学生の頃、友人たちと旅行したんです。バイトで稼いだお金をつぎ込んでいますから、お世辞にも贅沢な旅とは言えません。どうしても費用を切り詰めざるを得ない。それでも、いつもの面々と見たことない場所へ行き、自分たちしか楽しくないふざけ合いを繰り返し、疲れてウトウトしながら宿に向かうバスに揺られた記憶は、今でも思い出すと穏やかな気持ちにさせてくれます。

 宿に着いた我々に、ちょっとした想定外の出来事が出迎えてくれました。ちゃんと4人用の部屋を予約したはずなんですが、布団を4枚敷くとどうしても若干廊下にはみ出したまま寝なければいけないやつがひとり出てくるんです。我々が話し合った結果、じゃんけんという無難な結論に至りまして、グループのムードメーカーである――ここでは松木君としておきますけれども――松木君が廊下側の布団で寝ることになりました。

 私は松木君の隣で寝ることになったんですが、何しろみんな旅行で気分が高揚していますから、消灯したからって1日が終わるはずがありません。その上、寝たまま大の字になろうとすると両隣で寝てる人の胸に裏拳を食らわせつつ脛にローキックをかませるくらい互いに距離が近い。ですから、誰かの寝息が聞こえると隣のやつがすかさず股間を握って現実に引き戻すという、極めて頭の悪い仁義なき戦いが繰り広げられました。

 それでも夜が更けてゆきますと、いつしか全員眠ってしまいまして、そのまま朝を迎えることとなりました。私もしっかり夢を見ていました。

 夢の中でも私は現実と同じ部屋に寝ていました。隣には身体の2割を廊下にはみ出させた松木君が横になってるんですが、彼は黙って私に苦々しい表情をします。理由は分かっていました。先ほどから轟音のように鳴り響くいびきです。

「隣のおやじを何とかしてくれよ」

 松木君は小声で訴えてきました。見ると、松木君の隣には、廊下に布団を敷いて眠る中年男性がいました。確かに、中年男性の呼吸に合わせていびきが聞こえてくる。

 松木君は友人を笑わせるためなら結構なことまで平気でしてくれる人ではありましたが、その中に「通りすがりの人をいじる」というものもありました。もちろん、本人には聞こえないように言って私たちを笑わせるんですけれども、当然ながら感心できる行為ではございません。この時は中年男性が寝ているのをいいことに、すぐそばに本人がいるというのに、「あいつ絶対鼻の中でウシガエルを飼ってる」などと散々な言いようです。

 そこで私は目が覚めました。既に部屋は朝日で明るくなっていました。だから、すぐ分かりました。夢の中まで聞こえてきたいびきは、隣で熟睡している松木君のものだったんです。

 反射的に「誰が文句言ってんだ」と松木君のおでこを叩きそうになりましたが、当然ながら文句を言っていた松木君は私の夢の中での話なわけです。仮に衝動に負けて叩いていたとしたら、「星野が寝ぼけて松木をしばいた」と死ぬまで事あるたびにいじられていたはずです。

 危ないところでした。

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