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洗濯機でシャツを削りきる

 消しゴムを使い切るのは難しいです。なぜなら、ラストの方になると消しゴム自体が小さくなり、紛失の危険性が極めて高くなるからです。消しゴムを使いきろうと頑張る小学生の私は、残り少ない消しゴムの紛失に何度となく泣かされてきました。

 だから、使い切った時は、事の小ささとは裏腹に、異常な達成感がありました。ビーズにも満たない大きさの消しゴムを指で押さえながらこすると、ノートの文字を薄くしながら消しカスになってゆく。あの光景、あの感覚は忘れられません。一度しか達成できなかったことが、より強く記憶に留めているのでしょう。

 しかし、達成感がどれだけあろうと、やってることは消しゴムで文字を消しただけなんです。大体の人が経験している些細な行為です。この経験が何か他のことに役立つわけではない。消しゴムひとつの値段なんてたかが知れてますし、残り少ない状態だったら価値は更に下がっている。大切に使い切る意味はまず見いだせないんです。そういう意味では達成感だけがメリットであり、純度の高い自己満足と言えます。

 ただ、些細な行為なだけあって、デメリットも特に思いつきません。達成感を除けばプラスもマイナスもない。少なくとも、消しゴムを使い切った時点ではそう思っていたんです。

 それから10年以上が経った、ある日のことです。洗濯をしていると、一枚のシャツに穴が出来ているのに気づいたんです。

 それこそ消しゴムを使い切った頃にもらったシャツでございました。つまり、かなり使い込まれたシャツだったわけです。貰った当初はブカブカでしたが、いつの間にか身体にフィットするようになり、一時は出かけるたびに着ていました。

 散々着まくったせいでしょう。変化は穴だけではありませんでした。生地は新品の時より薄くなり、ガサガサで弾力は失せてしまいまして、襟も裾も削れているんです。洗濯機は汚れを落とすだけでなく、少しずつ生地を傷めるとは聞いていましたが、長年にわたって洗濯をしていれば、襟も裾も洗濯槽や他の衣類にゴリゴリやられて削れてしまうのでしょう。それでシャツに穴が開いた。1回や2回の洗濯では決して見られない変化でございます。

 と同時に、私は思ってしまったんです。「これ、消しゴムみたいだな」と。

 もちろん、衣類がノートの文字を消せるわけではありません。ただ、洗濯を繰り返していくたび、徐々に削れていくシャツと、字を消していくたび、徐々に小さくなっていく消しゴムが似ていると思ったんです。だから、こうも思いました。このまま洗濯しまくったら、シャツは洗濯槽の中で削り尽くされてなくなってしまうのではないかと。

 かつては消しゴムを使い切った私です。次の段階としてシャツを使い尽くすステージに来たというわけでしょう。そう思って、ボロボロのシャツを部屋着に使いながら洗濯を繰り返していたんですが、冷静になって考え直してみたんです。

 シャツは10年でようやく襟や裾が削れ始める程度の変化が出てきたわけです。このペースでシャツ全体を洗濯槽で削りきるとなりますと、軽く数百年から数千年の年月が必要になるわけです。人類の端くれであります私には、シャツを削りきるには深刻な寿命不足なんです。

 それに、シャツを削るのも後半になりますと、もうシャツの形を保っていないと思うんです。つまり、私は何の役にも立たない、せいぜいふきんの代わりぐらいにしかならなそうなボロ布を意味もなくバリバリ洗濯することになる。そんな無意味な行為を場合によっては数百年単位でやり続けなければいけないんです。

 更に、数百年規模ともなりますと、洗濯機だってガッツリ進化しているでしょう。そんな進化の過程でもっと布を削らない傷めない洗濯機が開発されたら一大事です。最新式の洗濯機に買い替えたが最後、旧式ならばシャツを削りきるまで数百年で済む話が、最新式になったせいで数千年から数万年かかるかもしれないんです。ただでさえ不足している寿命が一層不足するんです。どうしろというんですか。

 どうにもなりませんので、洗濯機でシャツを削りきるのは諦めた次第です。とりあえず、不老不死に目途がついたらやってみようと思います。

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