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天然は困る

 身の回りに怖い人が時々いるわけです。不思議なもので、学校にも職場にも探せばひとりくらいいるんです。怖いから勘弁してほしいなと思いつつも、そういう人がいなくなると調子を乗ってしまいそうな自分もいるわけで、なかなか微妙な存在です。

 中学生の時、そんな怖い先生が体育教師でいました。機嫌がいい時はともかく、悪い時は何かあればすぐ怒鳴る、ヤバいタイプでございました。

 怖い先生がやる体育は、みんな割と先生の言うことを聞いていました。「先生の機嫌が悪い」との噂が出回った日にはみんな戦々恐々です。

 その日は生徒の間で警報が発令されるほど機嫌悪いとの情報が出回っておりました。いくら中学生とは言え、事のヤバさは容易に理解できましたから、みんな先生の怒りを買わないよう、真面目に授業へ参加していました。

 ただ、敢えてそんなヤバい状況でコソコソふざける輩がいるのもまた中学校でございます。隣のクラスのお調子者もまたそうでした。ここでは仮に三浦弘毅君としておきますけれども、三浦弘毅君はとにかくふざけるのが好きで、授業中だろうが休み時間中だろうがふざけたいと思ったらふざけるため、いろんな先生によく怒られていました。

 さて、その日の体育は厳戒態勢でございました。生徒をキッチリ整列させたまま、先生は今日やる授業の内容を説明します。ただの説明のはずなんですが、何しろ今日の先生はマジでヤバいとの噂をみんなキャッチしていますから、先生の口調が何かの脅しみたいに聞こえるんです。先生の説明をみんな直立不動で聞いていたんですが、三浦弘毅君だけはあろうことか隣の男子にちょっかいを出し始めたんです。

 最初は脇をつつく程度でございましたけれども、先生に気づかれないと見るや三浦弘毅君の行為は大胆になってゆきます。両手で腰をくすぐり始めたりお尻を揉み始めたりと、三浦弘毅君のおちょくりは留まるところを知りません。おちょくられている男子は男子で、最初は適当にあしらっていたんですが、三浦弘毅君のあまりのしつこさにイライラを募らせ、しまいには軽めのパンチで反撃を始めたんです。それを半笑いで避ける三浦弘毅君。そんなやりとりを続けるうち、お互い徐々にエキサイティングしてきました。

 エキサイティングすれば先生から見つかりやすくなるに決まっています。案の定、三浦弘毅君たちは先生に見つかり、怒鳴られたわけですが、その第一声がこうでした。

「やい、三浦と弘毅! お前ら何やってんだ!」

 こういう緊迫した光景で発動する天然が本当に困るんです。笑うに笑えない。笑ったらついでに怒られるに決まってます。三浦弘毅君と隣の男子はキョトンとしていますし、先生も言い終わってから「しまった」と思ったのか、次の言葉がなかなか出てきません。笑ってはいけない緊迫感がますます笑いを誘い、うつむいて肩を震わせる男子が私を含めて数人いました。

 怖い人の天然は困ります。以前に働いていた会社でもそんなことがありました。その人はオールバックで目はギョロリとし、口周りに髭を携えた体毛の濃い中年男性でございましたが、上司や社外の人間にはともかく、社内の部下には常に粗い口調で接していました。もう粗いも粗い。ゴリゴリです。ちょっとミスっただけで殺害予告半歩手前みたいなことを言われるんです。

 今だったらしかるべきところに相談し、パワハラ認定してもらう案件でございます。しかし、新入社員だった当時の私はビビるだけで、そんな手段なんてとても思いつかない。しかも、しばらく経つと、幸か不幸か口髭先輩の粗さに慣れてしまいました。別に手を出すわけでもないし、嫌がらせをしてくるわけでもない。仕事はちゃんとやってくれる。ただ、普通の人だとムッとする程度の感情が、この口髭先輩の場合は殺害予告半歩手前の発言になってしまうようなんです。「口髭先輩の殺害予告は聞き流していればいいや」と適当な対処を手に入れてしまったため、何となくそれなりにうまくやれてきてしまったんです。

 とは言え、別に怒られたいわけではありませんから、その口髭先輩の前では冗談のひとつも言わず、ちゃんとしていました。そんなある日、社内で会議がありまして、私と口髭先輩もそれに参加する形となりました。あろうことか、私の席は口髭先輩の隣です。背筋も自然と伸びる環境でございました。

 口髭先輩は口調こそゴリゴリですけれども、一応は事件を起こさず勤め続けてきたくらいですから、ちゃんと会議には参加するんです。何なら身振り手振りで自分の意見を理路整然と主張する。

 口髭先輩が主張する隣で、私は奇妙な感覚にとらわれました。その日は夏だったんで、半袖シャツだったんですけれども、腕に何かふわっと当たるんです。理由はすぐに分かりました。口髭先輩の腕毛だったんです。

 その時に初めて知ったんですけれども、口髭先輩は毛が濃いだけじゃなくて長いんです。腕から生えた毛も相当な長さで、エルヴィス・プレスリーさんとか錦野旦さんとか往年のスターが着ていたフリンジ付きの服みたいだったんです。結果的に毛がフリンジっぽくなっていた。

 毛の長さとか、そういうのは体質ですから全く問題ないんですが、それにしたって状況が状況です。口髭先輩の荒々しい主張に熱が入るにつれて、天然のフリンジが私の腕をフワフワくすぐるんです。普段の口髭先輩からは想像できないほどソフトにくすぐってくる。笑いにこらえるあまり、会議の内容はほとんど頭に入ってきませんでした。

 怖い人の天然は本当に困ります。

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