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評論は、するのもされるのも難しい

 その昔、ちょっとしたクリエイティブな学校に通っていたことがあるんです。何しろクリエイティブな学校ですから、授業でクリエイトするんです。要は作るわけですね。もしくは創る。そして、クリエイトしたものを先生に提出して「ここはこうした方がいい」とか「ここはよくできている」とか教えてもらう。いや、言ってるのが先生だから「教えてもらう」と書いてしまいましたが、つまり評論をしてもらうわけです。

 生徒はみんな先生の評論から改善点を見出してまた作って提出する、なんて行為を繰り返していたんですが、やがて先生がこんなことを言いました。「今日からは皆さんも他の人の作品を見て思ったことを言ってもらいます」。つまり、「あなたたちも評論をしなさい」とのお達しです。理由は明確でした。「作品を見る目が鍛えられますし、ひいては自分の作品の良し悪しを判断する力になります」。

 そんなわけで、突如として評論する側にも駆り出されてしまった私たち生徒なんですが、とある現象が見られたんです。ほとんどの人が作品の改善点を指摘するんです。先生のお達しは「思ったことを言いなさい」であって「ダメ出ししなさい」ではないにも関わらずです。褒める人はひとりいればいいほうでした。別にダメ出しだって評論のひとつでしょうから間違ってないんですが、気の強そうな人から大人しそうな人まで一様にそうなんです。もちろん、授業の一環でやっていますから、それでみんなの仲がどうこうなることはありませんでしたが、この「全生徒ダメ出し化現象」はすごく印象に残ったんです。

 それは学校に限りませんでした。私は自分の作ったものを提出する前に、友人たちにも見せて感想を聞いていたんですが、こちらも「感想を聞かせて」とだけ言ったにも関わらず、友人はみんな改善点を出してきました。

 こんなことを書いている私ですが、授業で評論を求められれば、ちゃんとダメ出しする側になってるんです。自分でも不思議でした。他の生徒との仲は良好だったにもかかわらず、なんか改善点ばかり言ってしまう。これはどういうことなんでしょう。自分なりに理由を探ってみました。

 振り返って考えるに、改善点を指摘しないと仕事していない気がしていたと思います。作品は人間が作ったものですから、当然ながら大体は改善点がございます。そこを見逃しては作った人の成長する機会が削がれると思い、頑張って改善点を見つけていました。

 ただし、当然ながら欠点らしい欠点が見つからない場合もございます。そういう時は直す点がないと言えばいいですし、別に褒めてもいいわけです。でも、褒めてしまうと「改善点を見つけられなかった」と思われるんじゃないか。相手の成長機会を逃したんじゃないか。そんな不安がどこかにありました。「私の改善点発見能力はこの程度だと周囲に知られはしないか」という訳の分からないプレッシャーを勝手に感じていたんです。

 評論する側の大変さをひしひしと感じた私ですが、前出の通り学校では評論される側でもありました。私はそちらでもヒーヒー言っておりました。

 学校は学ぶ場ですし、他人の意見は貴重です。だから、私も他人の意見を片っ端から取り入れては作って提出していたんですが、だんだん何をどう作っていけばいいのか訳が分からなくなっていったんです。友人の評価がよかったものを提出しても先生の評価がいいとは限りませんし、例によって他の生徒からの感想は大半がダメ出しです。しかも、たまにふたりの人から正反対のダメ出しを食らったりするんです。片方からは「もっとシンプルに」、もう片方からは「もっと複雑に」と言われる。いとも簡単にクリエイトの迷宮へと迷い込んだ私、思いつめて先生に相談しました。先生の回答はこうでした。「そんなに混乱するなら、一旦は他人の意見から離れなさい」。いま考えれば、他人の意見にすぐ影響される私の特徴を先生は見抜いていたのかもしれません。

 そんな学校を卒業したのもだいぶ昔ですが、以降いろいろ経験してダメ出しの難点が見えるようになってきました。

 いきなり身も蓋もない話ですが、まず「そのダメ出しが当たっているとは限らない」という難点があります。例えば、学校でダメ出し側だった時は、作品を見た数分後には意見を言うシステムだったんです。だから、ほとんど直感に頼ってダメ出ししていました。あの時の同窓生には申し訳ありませんが、的確な指摘だったかと聞かれれば、「いやあ…」と首をひねるレベルです。「なんかグッと来ない」みたいな、抽象的な指摘もあったでしょう。そんなぼんやりとした感想では言われた方も改善のしようがありません。逆に具体的だけど見当違いな主張だって平気でしていたはずです。

 仮にダメ出しが的確だったとしても、それを直したら本来の良さが失われてしまうというパターンがあるのも厄介です。せっかく尖っているところが面白かったのに、いろんな人の意見を取り入れた結果、作品に丸みを帯びて面白さ激減、なんて結末になってはダメ出し側も後味が悪いでしょう。

 それから、「ダメ出しはしようと思えばいくらでもできる」という点も把握した方がいいポイントだと思いました。何しろ、いいポイントを悪く言えば一瞬にしてダメ出しになります。例えば、完璧な作品を見ても「完璧すぎてつまらない」と言ってしまえばいい。すごく簡単ですが、参考になるかと申しますとと疑問です。

 そう考えると、的確な意見をバシッと言うのは難しいのだと思います。きっとそれができる人は、プロのコーチみたいに、的確な意見を言う仕事で飯を食ってるんでしょう。そのための調査もちゃんとしているに違いない。

 同時に、意見を的確に聞くのも難しいのだと痛感させられます。日々、いろんな人から飛んでくる意見の中で的確なものだけを拾い上げてうまく活用する。なんかこう書いているだけでも、「果たしてうまくやれる人類が存在するのか」と恐ろしくなります。少なくとも私は常にうまくやれているとは全然思っていません。いい意見だけをどうやってキャッチするのか、ベストな方法は見つかっていない。

 ただ、いろいろやって経験を積み重ねていけば、多少なりとも自信というものがついてきます。その自信が、少なくとも激しく的外れな意見に耳を傾けず、どうにか頑張っていけるのかなあと思うようにはなりました。貧弱な道しるべですが、まあ何とかやっています。

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