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精密罵倒兵器があった時代

 友人から聞いた話です。本人から許可をもらって載せています。

 全国的な騒ぎとなったとある事件が、まさに起きている真っ最中だった頃の話です。全国的な騒ぎになったくらいですから、マスコミは毎日のように様々なメディアで事件を報じていました。

 新聞社もまた同様で、全国紙から地方紙に至るまで、事件について日々書き立てていました。多くはその某事件の責任者を批判する論調だったそうで、各紙はそれぞれ一面に大きな見出しを出していたそうです。

 友人は各紙における某事件を扱った記事を見比べたそうです。それぞれに特徴が出ていてなかなか興味深そうだったんですが、中でも某地方紙の見出しに用いられた言葉が目についたそうです。

右顧左眄

 覚えなくても読めなくても日常生活で何も困らないこの四字熟語は「うこさべん」と読みます。訳の分からない字の割に意味は割と単純で、「周りを気にしてなかなか決断できないこと」を指します。右に左に様子ばかりキョロキョロうかがって何も決められない状態というわけですね。

 出典は曹操の息子である曹植の「与呉季重書」なんだそうで、当時は「左顧右眄」だったようです。右顧左眄は日本でしか見られない表現とのことで、中国から「左顧右眄」として入ったあと、なぜか左右逆になって定着してしまったみたいです。

 友人がなぜ右顧左眄が気になったかというと、「どう考えても右顧左眄と書きたいがために右顧左眄を見出しにつかったんじゃないか」と思ったからだそうです。「それ言いたいだけやん」みたいなやつですね。私も難しい言葉を無理して使って恥をかいたことがたくさんありますけれども、「プロの記者までそんなことやってんのかよ」というツッコミを友人は禁じ得なかったそうです。

 友人はこうも言ってました。あの事件を扱った新聞で「右顧左眄」を見出しに使ったのは恐らく1社だけだと。更に言えば、そんな見出しを書いたのは日本広しと言えどもひとりの記者だけだと。つまり、当時「この右顧左眄野郎」という罵倒を、日本全国にわたって絨毯爆撃的にぶつけていった場合、例の見出しを書いた記者だけがグサッと来るのではないかと。

 つまり、その記者にだけピンポイントに効く、精密兵器みたいな罵倒があの当時の日本にだけ成り立っていたわけです。しかし、あれからもう何年も経ってしまい、「この右顧左眄野郎」という罵倒は今や罵倒かどうかもよく分からない言葉になってしまいました。

 こうやって振り返ってみると明らかにいろいろおかしい話なんですけど、なんか気になったので載せてみました。

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