勝手に兄貴と呼びたい若三康弘さん(デッツォーラ島根ECについて)
この記事は島根の鳥取サポ、気難しいような人なつっこいような不思議なパーソナリティを持つKAZZさん(Twitter)に寄稿して頂きました。OWL's Forestのメンバーによる寄稿ということで無料公開させて頂いております。
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過去にも何度となく書いてきているが、今ここでもう一度、声を大にして言う。
元デッツォーラ島根ECの代表者にして総監督だった故・若三康弘さんは、若三さん御本人に申し上げたことは一度もないけれど、個人的には勝手に「兄貴」と呼びたいと思っている人だ。
まだ「FCセントラル中国」を名乗っていた頃に、このチームの試合を初めて見て、その得体の知れない強さに身震いし、一発で惚れ込んでしまった。
何でもそうだけど、恋に落ちる時というのは実にあっさりしたものだ。いとも簡単にFCセントラル中国に惚れてしまい、時々試合を観に行くようになった。
最初はもちろん、こちらのことなど認識もされていなかった、と自分では思っていた。
当時からブログ、と言うよりこの時代はWeb日記だったか。ともかくそういうのをやっていたので、セントラル中国のこともいろいろ書いたと思う。
まさか当事者がそんなもん読むわけないよ、と思っていた、そんな自分が甘かったことを後日思い知ることになる。
ある日、若三さんから、声をかけられた……。と思う。よく覚えていないけれど、自分から声をかけたわけではなかったとは思っている。
何だろうと思ったら、ブログに書いてたことの話をし始める。その時、自分の見込みはとんでもなく甘かったことを思い知った。好き勝手書いていた自分のブログを当事者も当事者、それも監督が読んでいたのだ。
選手が「おまえいい加減にしろよ!」みたいな文句を言ってくる、というのなら、まだわかる。ところがそれを一気に通り越して監督が直接何事か言い出してきたのだ。
こっちはもうヒヤヒヤし通しだったけど、当の若三さんはド素人の自分相手に怒るでもなく、「もっと厳しいことを書いてやってくれ」などと言い出す始末だ。
「ド素人がいい加減なことを書くな!」って怒られるものだと思っていた自分は、それどころか「もっと厳しいことを書いてくれ」みたいに言う若三さんに頭が上がらなくなってしまった。
いや、頭が上がらなかったぐらいなら、まだいい。それどころか困ったことに、この人の度量のデカさに一発で惚れ込んでしまった。
以来、チーム名が「デッツォーラ島根EC」と改まった彼らの試合を時々観に行くこととなり、若三さんにも親しくしていただくことになった。
フランクでバイタリティのある若三さんからすると、根暗で何を考えてるのかわからない当方が珍しかっただけなのかもしれないが、それでも声をかけてくださることは嬉しかった。
途中、ヴォラドール松江に浮気するような時期もあったが、声出しサポがほとんどいないデッツォーラ島根ECのサポーターと言われても構わない、ぐらいの気分ではいた。
酒が入ると若三さんは饒舌になった。その話は概ね面白かった。
ある時、若三さんに携帯電話の番号を教えたところ、ある日、運転中にいきなり若三さんから電話がかかってきた。
道路脇に車を停めて電話に出たが、どうも飲んでるらしい。こっちは運転中でこれから家に帰るところだと説明しても聞いてくれなかった。迷惑なおっさんだなあ、と思ったが、結局彼の電話につきあった自分も自分だ。
ある年の元日には、家でまったり天皇杯を見ようとしたら、若三さんが電話をかけてきた。そして例の如く飲んでいた。
心中では「おっさんええ加減にせえよ」と思ったが、もちろんそんなことはおくびにも出さず、ほぼ試合中まるまる、若三さんからの電話につきあったわけだ。
まあ、自分も大概どうかしているけれどね。
そんな若三さんも、2017年に最後に米子で会った時は、病気が結構大変そうだった。
自分の脳梗塞の時も、心配してくださったこともあり、入院してると聞いたので、そのつもりでいたが、まさか大変な病気だとは思ってなかったので、軽めに話をした。
まさか、その時が若三さんとの最後になるなんて、想像もしていなかった。今にして思えば、もっと声掛けして元気づけても良かったのかもしれない。
結局、2017年秋、若三さんは鬼籍に入られ、その年の暮れに浜田で追悼試合があった。自分はその試合に行っていない。仕事終わりの日だったので、行けなかった。
そのことは、間違いなく最大の痛恨事かもしれない。
若三さんが情熱と心血を注いだデッツォーラ島根ECのトップチームは、今はもう活動をしていない。ご子息が、同名のU-12のチームを率いている。
サッカー界隈であそこまで私淑していた人のチームが、COVID-19起因で活動を止めてしまうなんて、まったくCOVID-19が憎たらしくて仕方がない。本来なら、中国リーグ再昇格を楽しむシーズンだったはずなのに。
そんな機会すらも、COVID-19は簡単に奪ってしまうのだ。どうにもシャクに障ってしまう。
でも、そうやって怒ってみても始まらないので、今、自分は若三さんがずっと言ってきた「楽しく、厳しく、いい加減に」をモットーに掲げて生きていこうと思っている。
若三さんとデッツォーラ島根ECを、これからもずっと心の中に留めておくためにも。
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