文春出し惜しみ問題
今週の『週刊文春』にて、粗品さんに対する批判的な記事が出ているようだ、という話がありまして。実際に誌面を確認してみたところ、『FNS27時間テレビ』の生放送中に、粗品さんとスタッフの間で行き違いがあってちょっとしたトラブルが起こっていた、ということでした。
ここではその内容について詳しく触れることはしませんが、記事で書かれていることだけで判断するなら、この件について粗品さんには非がなく、どちらかというとスタッフ側に落ち度があったのではないか、という印象を受けました。
ただ、『文春オンライン』では、この記事の一部が無料公開されていて、肝心のところは有料プランに加入しないと読めないようになっています。そして、無料公開されている部分だけを読むと、(はっきりそう書かれてはいないものの)粗品さんが自分から何らかの揉め事を起こしたような印象を受けます。
この『文春オンライン』の無料公開部分を見た人のうちのおそらく99%以上は、有料プランに加入したり『週刊文春』を購入したりしないので、実際の記事全文を読むことがありません。そういう人たちは、記事の見出しや無料の部分だけを見て、何となく「粗品がわがままを言って揉めたんだろうな」という印象を抱くのではないかと思います。
これが「文春出し惜しみ問題」です。『週刊文春』が記事の出し惜しみをすることで、ぼんやりとした印象だけが世の中で広く流通してしまい、正確な記事内容がむしろ伝わりづらくなってしまう、ということです。
松本人志さんの性加害疑惑に関する記事でも、全く同じことが起こっていました。テレビでもSNSでもYouTubeでも「あの一連の記事を全部読んだら、そんな感想にはならないんじゃないかな」という感じのことを言っている人がたくさん見受けられました。
もちろん、出版社側を責めるつもりはありません。出版業は慈善事業ではないので、利潤追求のために有料で記事を読ませようとするのは正当なことです。
ただ、文藝春秋社がまっとうな商売をすることの副作用として、正確な情報が伝わらず、不正確な情報をもとにみんながあれこれ言い合う、という状況に対してはもどかしい気持ちがあります。
じゃあどうすればいいんだ、って言われるとどうしようもないんですけどね。ただ、あらゆるものが無料で流通するインターネットというものと、足で稼いだ情報を有償で売りたい伝統的な出版業というものの根本的な相性の悪さが、このような問題を起こしているんだろうなあ、と思います。