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「本読めてない」が気になる理由

「本読めてない」という言葉をたまに聞くことがあります。自分では使わないフレーズなので、妙に引っかかります。

使い方としては、「最近忙しくて、本読めてないんだよね」みたいな感じです。特定の話題になっている本について「それ、まだ読めてないわ」などと言うこともあります。

これを言う人の心理を分析してみると、まず「本を読むのは立派なことである」「本を読むべきである」という信念があるような気がします。そして、「自分は本来は本を読む立派な人間である」と言いたいのだと思います。ただ、今はたまたま忙しかったり、ほかにやることがあったりしていて、本を読むという行為をできていない。だから「本読めてない」と言いたくなる。

私自身は、日常的にものすごく本を読むタイプの人間だと思いますが、本を読むのは立派なことだとは思っていないし、本を読むべきだとも思っていないので、「本読めてない」とは言ったことがないし、それを言う人に共感もできません。

最近売れている、三宅香帆さんの著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだときにも、本の内容自体は興味深かったのですが、根底に流れる「本を読むべきである」という思想のようなものには引っかかりを感じました。

なんでみんなそんなに本を読むべきだと思っているのでしょうか。私自身は、本を読むのが好きなので、世の中に本を読む人が増えると、自分が書いた本が多少は売れて多少は収入が増えるかもしれないし、話が合いそうな人が増えることになるので、自分自身の人生が少しだけ充実するような気はします。

そういう純粋に利己的な意味で本を読んでほしいと言うのならわかりますが、一般論として「本を読むべきだ」と言われると、別にそんなことないだろ、それぞれ好きにすればいいだろ、と思ってしまいます。

「本読めてない」と言う人の、本を読むことを義務だと感じている感覚も個人的には引っかかるんですよね。義務だと思っているならやめておけよ、と言いたくなります。読みたくなったら読めばいい。現状で「読めてない」なら、本気で読みたくはなっていないのだから、別に読まなくていい。それだけのことです。