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【好きな落語家、好きなネタ】第4回 桂枝雀

4コマ漫画家兼落語作家にして「落語音源コレクター」の顔も持つ私なかむらが、自分の音源コレクションと観覧体験を元に、好きな落語家さんのネタのベタな思い出をひたすら書き綴るコラムです。
第4回は、桂枝雀師について。

 ~ ~ ~

「笑いとは緊張の緩和である」
という分析、ダウンタウンの松本人志さんや明石家さんまさん、他著名芸人の方々がテレビ番組の中でちょいちょい話してらっしゃるので、落語に興味無い人でもいっぺんぐらい聞き覚えがあるかもしれません。
これはかつて桂枝雀師が唱えていた「笑い理論」で、ポピュラーな笑いの定義として関西の笑芸界では長らく定着しています。

枝雀師は他にも、「落語のサゲの四分類(ドンデン/謎解き/へん/合わせ)」などの分析を発表しており、師匠の桂米朝師とは違う形で、「上方落語界史上屈指の理論家」としての足跡を残しています。

そんな枝雀師の芸に毎週触れられたのが、1980年代前半の「枝雀寄席」(朝日放送、愛知では名古屋テレビ)でした。
そしてその流れから、『地獄八景亡者戯』と『植木屋娘』を収録したテープを購入。これにバカハマリしました。
『地獄~』は古くからあった長編を米朝師が1時間以上に再編し直した大作で、今でこそ多くの方が手掛けていますが、当時は演者が米朝師以外いなかったはず。いわばプレーンな状態だった米朝師の『地獄~』を枝雀師がご自身の色に染め直して、枝雀流に演じました。
具体的にいうと、自身が不得意な時事ネタは盛り込まず、代わりに登場人物のキャラクター性といつもの枝雀流デフォルメ演出を多用したのです。
それと、70分を超える高座を前編・後編に分割して口演していた、という独自の演出をしていたことも後年知りました。(テープだと上手に編集されてて切れ目が分からなかったのです)

驚いたのは、落語そのものをギャグにしたクスグリ、いわゆる落語ファンだけが笑う「楽屋オチ」を導入した点でした。
たとえば地獄の閻魔の庁で亡者がお裁きを受ける場面、「一芸ある者は出よ」の指示に「落語をやります」と申し出た一人の亡者が、閻魔大王と演目を決めるくだり…

「『風邪うどん』を演ります。『一声と三声は呼ばぬ卵売り…』」
「ホンマに演るんか? 25分かかんねんで」
「やめます」
「儂の言うのん演ってみい。『三十石』?」
「『三十石』は…、今のところ持ちネタにございません」
「『三枚起請』?」
「…まだちょっと」
「『菊江仏壇』?」
「…」
「『立ち切れ』?」
「…」
「『らくだ』?」
「あんた、演れんの選ってなはんねん!」

ここに登場した演目はすべて、当時の枝雀師が実際に「演らなかった」ネタでした。このシーンを聴くと、地獄の閻魔の庁で困っている枝雀師自身の顔が頭に浮かび、無性におかしかったのを思い出します。
ちなみにこの高座の何年かのち、『三十石』は無事?持ちネタの一つに加わりました。先人の真似でないブルージーな節回しの舟唄が、これまた強く印象に残っています。

さて、『地獄~』を聴いた直後、枝雀師の著書「桂枝雀と61人の仲間」(徳間書店、1984年刊)を読んで、私の枝雀信奉度はさらに加速度的に深まりました。
持ちネタの数の多さをステータスにする落語家が少なくない中で、枝雀師は長年、自分の持ちネタを常時60席(入れ替えは随時アリ)と定めていて、この著書の中では刊行当時の持ちネタ60席にまつわる芸談やエピソードがこれでもかと言わんばかりに満載されていたのです。

枝雀師のオハコ中のオハコ『宿替え』『代書』『鷺とり』『夏の医者』から、『寝床』『鴻池の犬』『胴乱の幸助』『舟弁慶』など上方のスタンダードな大ネタ、そして『八五郎坊主』『瘤弁慶』『胴斬り』『牛の丸薬』など演者の少ないネタも。
『いらちの愛宕参り』はバカバカしくて好きだったなぁー。今でも一番好きかも。
『質屋蔵』の重層的な笑いと後半怪談になる構成は、カルチャーショックでした。
『壷算』は今じゃ東西の若手落語家の必須ネタみたいになっていますが、枝雀師で初めて聴いた時は「理屈の裏」を行くような斬新なおかしさに感心し、唸ったものでした。
こちらも「桂枝雀と61人の仲間」同様、1ネタ1ネタ思い出を書き並べたいくらい。

コレクターとしては、最初の『地獄~』がテープだったことで、「桂枝雀独演会」「枝雀落語らいぶ」の2タイトルはすべてテープで揃え、その前に発売されたレコード「枝雀十八番」「再び枝雀十八番」などの音源は図書館でテープに移された音源を借りてほぼ全部聴きました。
それらの過去音源に未発表高座の音源を追加してCDリリースされたのが、「枝雀落語大全」シリーズ全40巻。
ただ、枝雀師の持ちネタすべてが収録されているのかと思ったらそうではなくて、先述『牛の丸薬』など古典数編、新作落語、英語落語などは同時発売のDVDへの収録でフォローされてます。
ついでに言うと、YouTubeにも枝雀師の新作落語高座が何本かあがっていますが、ほとんどが「掛け捨て」と呼ばれる1回こっきりのネタですね。

たくさんの笑いをファンに与え、後世に笑い理論さえ残した枝雀師でしたが、21世紀に入る直前の1999年春、自ら命を絶つ形で、59歳でこの世を去られました。
枝雀師のテープで涙を流して笑い、落語の楽しさに目覚めた自分としては、どんな形ででも一度ナマ高座に接したかったのですが…

その後、2015年にご長男が「桂りょうば」という芸名でプロの落語家になり、2019年に名古屋・大須演芸場で『子ほめ』を聴いた時は、客席で別の意味でちょっと涙が出そうになりました。(第4回・了)

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