見出し画像

【好きな落語家、好きなネタ】第3回 五代目柳家小さん

4コマ漫画家兼落語作家にして「落語音源コレクター」の顔も持つ私なかむらが、自分の音源コレクションと観覧体験を元に、好きな落語家さんのネタのベタな思い出をひたすら書き綴るコラム。
第3回は、2002年に亡くなった先代(五代目)柳家小さん師について。

 ~ ~ ~

昭和戦後から平成にかけて第一線を走り続けた、「This is 落語」の人。
印象的には、黒紋付に白髪の丸刈り、出囃子とともに武骨に高座に上がるものの、「あったかまんじゅう」(春風亭小朝師による比喩)みたいな丸い顔と丸い体型でぼそぼそとしゃべる好々爺のような存在。そういう落語ファンは多かったでしょう。

笑いの多い滑稽噺を中心に芸道を極めたことで、人情噺や長講噺などで評価を得た他の「昭和の名人」たちと比較された時、どうしても評価が一段階低くなりがちなのですが、なんのなんの。
五代目柳家小さん師の若き日の卓越した演技力は、目を見張るほどの、いや、音声しか聴いてないから目は見張れませんが、とにかく素晴らしいものでした。

まだ存命中だった2000年3月に小学館から発売されたCDブック「五代目柳家小さん落語全集」に収録されている五十余席の口演音源は、1950年代~1990年代まで幅広く網羅されているのですが、その中で最も数の多い1960年代後半(昭和40年代)の高座ぶりときたら、後年の「あったかまんじゅう」しか知らない人が聞いたら卒倒するかもしれません。(もちろんその比喩をされる何十年も前なんですが…)
江戸のチンピラ二人が田舎の寺で出家する噺『万金丹』(1966年収録)を聴いた時など、威勢の良い語り口調とスピード感、加えて登場人物の悪たれぶりのリアリティに、「あれっ、これ立川談志?」と思ったほど衝撃が走ったものでした。

私自身、当然「あったかまんじゅう」時代から小さん師を知ったわけですが、この好々爺に至るまでの過去高座の数々を聴いて、談志師が惚れて弟子入りしたのも、もっと言えば山田洋次監督がその後役者として何作もの作品に起用したのも、そりゃ無理からぬことよなー、と納得したのでした。

その後、「昭和の名人」と称された落語家が1980年前後に五代目小さん師を残してすべて旅立たれて以降、「古典落語の第一人者」の看板は揺るぎの無いものとなります。
とりわけ、「柳家の芸風」というのを確立したのは、この小さん師だったでしょう。
「柳家の芸風」イコール滑稽噺、そう決められがちなのですが、リズムや語り口調を重視する他派一門とは完全に一線を画したリアリティ表現は、その弟子であった談志・小三治・さん喬・権太楼各師、孫弟子の喬太郎師らに色濃く継承されています。

もうひとつ、「滑稽噺の名人」とカテゴライズはされがちですが、コレクター目線から申しますと、意外なほど持ちネタの数は多種多様なのです。
『らくだ』『二人旅~長者番付』『三人旅(通し)』『おせつ徳三郎(上下)』『お神酒徳利』などの40分を越える大ネタ。
『うどんや』『宿屋の富』『天災』『にらみ返し』『禁酒番屋』『試し酒』『笠碁』『蜘蛛駕籠』などのトリ向けのネタ。
さらに『長屋の花見』『粗忽長屋』『まんじゅうこわい』『道具屋』『長短』といった寄席の中盤でも十分満足できるネタ、数々の前座ネタまでも、小さん師ならでは、の楽しさを味わえるものばかりです。

落語の王道的なイメージの一方で、『石返し』『言訳座頭』『意地くらべ』といった他の一門じゃやらない演目をCDに残してくださってました。
他に『魂の入れ替え』『藪医者』『浮世根問』なんてあたりも門弟が継承しておられて、寄席に通っていた頃たまにあたって驚きました。
これはまぁ、落語音源コレクターとしての価値観ですが。

個人的に好きなのは『たぬき』の冒頭、恩返しに狸が親方の家にやって来る場面……
「コンバァー」
「誰だい?」
「ハゥヒィャス」
「タミ公か?」
「ンン、タゥキャァアス」
「タケか?」
「ンン、タゥキャリャゥスヨ」
「はっきりしねぇ野郎だな、狸がモソモソ言ってるみてえじゃねーか」
「そのタヌキです」

この狸の「いかにもドウブツ」的なしゃべりっぷり。何度聴いても未だに笑いがこみ上げます。
古今亭志ん生のような突飛なワードを使わず、それでいて演技力で笑わせる演出は、ご自身が生前よく話していたと言われる「その人物の了見になれ」という教えの、まさしく実践だったのでしょう。

1997年の春、私が寄席で二度ほど高座を拝見した時は脳梗塞の病後で、前座噺を静かに語っておられました。
この時の「あったかまんじゅうの完成品」的なお姿の記憶も、今では一生モノのお宝だと思っています。(第3回・了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?