むかし日本はレースの輸出国だった。
ほんと? とお思いでしょうか。これは本当のことなんです。明治から大正にかけて、日本人の手編みしたレースが海外へ輸出されていました。
このことを知ったのは、過去に集めたレース編みの本と「柴田たけ子」先生のおかげです。柴田先生は、昭和24年にレース・編物学校「霞ヶ丘技芸学院」(ちなみに今の学院長はあの広瀬光治さん)を創設された方で、そのお名前は昭和の本の中でよくお見かけします。
この柴田先生が昭和29年に『レース編独習書』という本を出されました。その序文が興味深いので、一部