殻の中のこどもたち

“若さを肯定しつつも はりぼての達観が青ざめ、挫けていく様を見るのが、私達は大好きなのです。”

これ某単眼猫先生のお言葉なんですけど、ガチでエグいスよね。「はりぼての達観」て言葉、すべてのメンタル思春期人間に効きまくるだろ。
ということで、今回は はりぼての達観 という言葉を多用して文章を書こうかな。こんばんは、社会から断絶され“はりぼての達観”を誰にも手折られないまま歪に大きくなった結果、永遠の思春期人間と化した終焉よるです。

我々が大人になるためには殻を破らなくてはなりません。暗くて暖かくて心地よい揺籃を叩き割り、辛く厳しい外の世界を知る、それこそが大人になるための条件……難しいことを考えるのはその後です。殻の中に引きこもったまま内から湧き出る思考に溺れていても、何の役にも立たないのだから……
↑そういう社会からの警告を無視して“思春期”という唯一殻の中で燻ってることが許される準備期間を通り過ぎても延々と思春期メンタルに引きこもっています!なんか気付いたら周りのみんな大人になってたんすよね(笑)中学生の時はたぶんわたしの方が大人に近かったのに、孵化するタイミングを逃しまくった結果殻の中で変な化け物と化してしまった…。

たとえば、ちょっと周りより考え方が大人びていて「周りが全員馬鹿に見える」みたいなことを思ってるような子供と“はりぼての達観”は相性がいいだろうな、とわたしは思っています。単眼猫先生の作品で言うと吉野順平とかが分かりやすい例なんじゃないか。未だにわたし、吉野順平が「言うてお前自分がバカにしてる奴らの次くらいにはバカやぞ」って言われて死んだの思い出してしんどくなりますよ。

まだ色々なことを経験していない子供が、どんなに“自分はわかってるんで”という顔をしていても、社会で生きていくうちに必ずどこかで破綻する(わからせられる)んじゃないかな。でもそこで初めてきちんと大人に近づくんだろうなあとも思う。

ですが……

なんと……

終焉よるに限り……!

✨️社会と断絶されているからわからせが発生しない✨️

誰にも手折られぬまま、誰にも止めてもらえないまま、障害物のない自由な楽園ですくすくと育った“はりぼての達観”が、わたしをずっと思春期の中に閉じ込めているのではないでしょうか。
単眼猫先生が言語化してくれたのでやっと自覚したのですが、わたしは自身のバカげた“はりぼての達観”を外から丁寧に壊してくれる大人を探しているんですよ。わたしの「自分はわかってるんで」みたいなスカした面をかわいく歪ませてくれる大人を探しているんです。
簡単なはずですよね。だってこんなありきたりでつまらない思春期の症状、こんな安っぽい俯瞰、既に色んなことを経験して大人になることに成功した人間なら簡単に治せるはずなんですよ。なのに誰もわたしを治してくれない、どうして……

こんな浅い経験だけで大人に失望しかけているバカなわたしを今一度わからせるためにも、どうか素敵な大人の人に出会わせてほしい。わたしがこんなくだらない文章を二度と書かなくて済むように、真正面から人を愛せるように、どうか……。

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