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Revisit My Hometown

昨年の夏に読んだ、ある写真集の序文を書いた人の名前を忘れられずにいたら、しばらくして、その人が沖縄を研究テーマにしている社会学者だと知った。

近所の書店で著作を探して、岸政彦さんの「はじめての沖縄」と「マンゴーと手榴弾」を読んだ。

そこには、住んでいた頃から今に至るまで知ることのなかった沖縄があった。ずっと感じていながら、沖縄の中でも外でも言語化できないまま私の中で沈殿していたものが形を成していた。

そして、ごくごく個人的な感想を挙げると、私が沖縄であのように過ごした四半世紀もまた『沖縄の生活』であったのだと得心して安堵したのだった。

「あのように過ごした」とは、”いっせんまちやー”も”エイサーの練習”も無い新興住宅地で育ち、両親が方言をほとんど話さなかったために聴くも話すも出来ず、成長するにつれ県外出身者と間違われることが増え、沖縄を好きなのに馴染めない、はじき出されるような感覚を持って暮らしていたことである。今でも、出身が沖縄だと告げると「いいねー」と羨ましがられ、そこに「沖縄っぽい感じしないね」が付け加えられることがあり、基地問題のことを思う時と似た少し複雑な心境になる。

でも、私があそこで過ごした日々も、沖縄の人々の生活のひとつだった。何当たり前のことを書いてるんだと思うけれど、本を読んで湧いてきた「私もそこに含まれていたんだ」という想い、しばらく続いたそのじわじわ感は、かつて・・・屈託だらけの思春期前後に縁があった、あれ以来行ったことのない場所を、帰省の際に訪ねて撮ってみよう という思いつきを生んだ。

このマガジン「Revisit My Hometown」には、C●○●D-19で沖縄へ行けなくなる前に再訪することが出来たいくつかの場所について記そう。

もうすぐ沖縄は梅雨が明ける。夏の沖縄は主に徒歩とバス移動で撮る私には辛い。私にとっての撮影シーズン(11〜4月)にはまた行けるようになっているのだろうか?



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