見出し画像

グロテスク

覚えたての刺激的な単語や小難しい言い回しを、現実の生活の中で使ってみたくなる。14歳はそんな季節の真っ只中だ。鬱屈や反抗や自己顕示欲ですでに重たい頭に背伸びを加えた不安定な姿で、いくつもの新しい言葉を口にした。しかし、それらをどんな場面で初めて使ったかの記憶はない。「グロテスク」を除いて。

夏休みの家族旅行で関東へ行ったのは、中学2年生の時だった。東京滞在中は父は仕事で、残りの3人で観光をして、日光東照宮と華厳の滝では全員が揃った。

東京では、はとバスツアーに参加した。覚えているのは浅草寺と東京タワーと、帰りのはとバスを途中で降りたことだ。
ツアーの終わり頃に雨が降ってきたのだと思う。少し進んでは止まる夕方の渋滞に巻き込まれたバスの中、雨に濡れ冷房で冷やされた身体でいつもの車酔いに耐えていると、前の席に座っていた母が、今、泊まっているホテルの前を通り過ぎたと言う。頭をもたれかけさせていた窓の外を見ると、崩れた雨粒の向こうに、ここ数日間の滞在で見覚えたお店が何軒かゆっくり後ろへ流れていく。「ここで降ろしてもらえないか言ってくる」母は席を立った。
もちろん、運転手はそんなことは出来ないと答え、母は戻ってきた。しかし、その後も車の列の動きは鈍く、母はもう一度運転席に向かった。「ここで降ろしてほしい」と食い下がって要求する母と運転手の会話は、静かなバスの後ろの方までよく聞こえてきて、私は非常にいたたまれない気持ちになった。関西でおばさんになった現在の私は、あの時代、あの状況下での、あの要求はアリかもしれないと思わないでもない。しかし、たとえ私が、関西人はデパートでも値切るらしいとまことしやかに言われていた1980年代に飛ばされたとしても、あれをやれるかどうかはわからない。

押し切られた運転手がドアを開けたので、私達3人は、はとバスを降りた。もっと早く降ろしてくれればよかったのにと言いながら、母は交渉の勝利に満足そうで、車酔いで苦しんでいたはずの私は、あんな恥ずかしい思いをして呆れられて放り出されるぐらいなら、終点まで乗っていたかったのにとふてくされていた。
うらめしいような気分で母の後ろを歩いていると、彼女は果物屋の前で急に足を止めた。「イチジク、懐かしい」そして、黄緑と赤紫の混じった色の果物をいくつか買った。
沖縄でイチジクを見たことはない。両親は、私が生まれる前後5年ほど九州で暮らしていたことがある。おそらくその頃に食べたことがあるのだろう。

ホテルに戻ると、私は自分の縄張りであるベッドの上で、壁の方を向いて持ってきた本を読んでいた。反抗期における家族旅行下の苦行は、自室に引っ込めないことだ。広めのツインの部屋に、2台の折りたたみベッドを入れた一室で何日か過ごす。それ以外もずっと家族と一緒にいる。当時の私のフラストレーションやいかに。
背後から聞こえる「こんな味だったかね〜?」「水っぽいさ」という独り言を無視していると、母がこちらにやってきた。「あんた、果物好きでしょう?」と差し出されたのは、破って広げた紙袋の上に乗ったぐちゃぐちゃだった。
今ならそれが、水気の多い夏のイチジクを手で裂いたものだとわかるが、イチジク初対面の私には、ところどころ赤みを帯びた細長い蛆がびっしり並んでいるように見えた。

(グロテスク・・・・グロテスクだ)

要らないと言ったが、押し付けられ、受け取った元・紙袋から染み出た汁が手についた。怒りが身体を巡って、その後食べたのかどうしたのかは覚えていない。

画像1

母が「イチジクが食べたい」と言い出したのは、2年前の8月の終わりだった。
私は、県外に嫁いでからわりと早くにイチジクと和解し、今では、旬の時期に1パック5,6個入り398円で売られているイチジクを何度もリピートするほど好きだ。特に、皮がざらっと厚くなってきて、水分が抜けて糖度が上がってきた秋のイチジクが。

「じゃあ、9月にそっちに行く時に持っていくね」 と請け負ったら、関西空港への連絡橋が壊れたあの台風がやってきて、いろんなものと一緒にイチジクも吹き飛ばした。翌年は、秋雨が長く続き、糖度低めで皮が柔らかい夏のイチジクから進化できずにシーズンを終えた。
病気の後遺症の痛みと痺れで年々弱っていく母が、もしも次の夏を待たずに死んでしまったら「イチジクが食べたい」というリクエストは、私の中にウラメシヤ〜状態で残されてしまう。それは嫌だなぁと思っているうちに、世界中が感染症におびやかされるという事態になってしまった。

今年は、イチジク的には良い年だった。
9月には、晴れの日続きの頃に収穫されたイチジクを、台風がやってくるタイミングを避けて2度実家に送ることが出来た。もちろん、行きつけのスーパーの398のやつである。無事に届いてもうこれで大丈夫かと思いきや、電話の向こうからは「思ってたよりは甘くなかった」「でも、ちゃんとイチジクの香りがして美味しいわよ」というコメントが返ってきた。この人は、たやすく満足してくれる人じゃなかったなと思い出す。来年もまた頼んでくるかもしれない。

グロテスク(grotesque)という言葉は、見た目が生理的嫌悪を引き起こすものに使われるのだと、ついこの間まで思っていた。
ところが、デジタル大辞泉によると「異様な人物や動植物などに曲線模様をあしらった装飾文様。古代ローマに始まる」という記述の方が先に来る。アラベスク文様の一名称らしいのだ。
現在の私は、かぶりついたイチジクの断面を奇妙で面白い文様だと思って眺めている。拡大解釈をすると、気持ち悪く見えてた時もそうでない今も、イチジクの果実の断面を「グロテスク」と表してもよいのだ。

昨夜から、太平洋を東に進む台風が冷たい雨を降らせている。
今年のイチジクが終わる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?