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五条で鴨川等間隔を

鴨川の河川敷でおにぎりを食べるんだったら、四条大橋の方が良かったかもしれない。五条通りを鴨川に向かって歩きながら、あの辺りがどうだったか思い出そうとして、そもそも知らないということに気づく。暑い。日傘持ってくればよかった。もう10月やで。
五条大橋の上から、鴨川と北山にお久しぶりです!の挨拶もそこそこに、河川敷に降りる階段と座れそうな場所を探した。あ、座って何か食べている人がいる。小柄の年配の男性に見える。あそこから右岸に降りられそうだ。

男性が座っていたのは、鴨川と並行して流れる人口水路と遊歩道の間にある石積みの上だった。腰掛けるのにちょうどいい高さ。夏になると川沿いの飲食店がこの人口水路の上に納涼床を設置するのだ。すぐそこの料理旅館の納涼床がまだ残っている。午後2時前の日差しを浴びる河川敷にうっすら陰っている一帯があって、男性はその真ん中あたりに腰を下ろしている。私は彼の前を通り過ぎて3メートルほど離れた影の内側に座った。

膝の上に大判のハンカチを敷いて、バッグの中から乗り換え駅で買ったちりめん山椒のおにぎりを取り出す。よかった。潰れてない。口の中の山椒ですこし涼しくなった気がしてくる。水筒にいれてきた温かいほうじ茶を飲むと胃のあたりがスースーし始めた。
遊歩道の脇にはヨシらしきものが生い茂っていて、座った位置からだと川面は見えない。四条大橋や三条大橋あたりの右岸では、このヨシらしきものが生えている土手の縁は整備されていて人が座っている。川面を見下ろしながら談笑するカップルやグループ間の距離が等間隔になる現象は、鴨川の風物詩になっていて、建築学会や心理学会で論文が発表されたこともあるらしい。

先刻訪ねた建仁寺と六波羅蜜寺のパンフレットを取り出して読んでいると、口に含んだ飲み物をクチュクチュしている音が聞こえてくる。わかる。私もこの間抜いた親知らずの跡の穴にまだご飯粒のカケラがはまったりするからわかる。帽子からズボンまで生成色一色の彼は、父と同年代ぐらいだろうか。
ふとその方向を見ると、なんと人が増えていた。お隣さんの向こう3、4メートル離れたところに柄シャツを着た大学生ぐらいの男の子が座っている。
ということは、今ここ五条において、青年・老人・おばさんが単独で並んで座ったことにより「鴨川等間隔の法則」が最小で成り立っているかもしれないのだ。なんだかニヤニヤしてくる。でも「私たち等間隔になってますよね」とは、このご時世であっても無くても言いづらいし、分かち合いづらい。対岸の河川敷からはおそらくこちらは見えず、上の歩道にも人気はない。この「五条大橋付近における鴨川等間隔」は誰にも目撃・確認されることなく始まり終わるのだ。

別の店で買ったパンプキンスコーンを食べていると、ふっとタバコの匂いがしてきた。おじいさんはいつのまにかマスクをしていて、その向こうの彼が一服している。あぁ、こんな匂いだったなぁと不快感ではなく懐かしさを覚えた。
少しすると、等間隔の起点になった生成色のおじいさんが立ち上がって階段に消え、しばらく男の子とふたりで再び等間隔になるのを待つも、彼も去って私はひとりになった。

と、女の子がひとり降りてきた。さっき五条大橋の上で北山方面にスマホを向けてた子かもしれない。紺の長袖ブラウスに黒のタイトなロングスカート、黒のパンプス黒の大きなバッグ。背中までの髪をひとつにくくっている。四条の河川敷の方が似合いそうな雰囲気だけど、そのスカートだとここの方が座りやすそうだ。彼女は青年が座っていた位置に腰掛け、お弁当を食べ始めた。膝の上に広がる萌黄色のお弁当包み。小さい楕円のお弁当箱。14時過ぎにこんな場所でひとりお昼を食べてるんやなぁ。弁当箱を留めるランチベルトは紺色だった。

そろそろ帰ろうか。電車が空いているうちに。彼女もひとりの方が気楽だろう。もしかしたら、このあとまた等間隔が起こる可能性もあるけれど。
五条大橋の上からさっきまで座っていた場所を眺めた。陰は来た時よりもくっきりとしていて、その端っこに座る彼女から付かず離れずのところに鳩がいた。
(鳩、頼むよ、鳩)と思いながら、清水五条駅に向かって歩いた。

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