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趣味と自己完結

趣味のはずなのに趣味がストレス源になってしまう、そんな経験はないだろうか?

例えばスマホゲームをやっていてガチャで目当てのキャラクターが引けない、他の人は引けてるのに自分は引けない、それがストレスになるといった感じである。

この趣味がストレス源だと感じてしまう要因は他者との比較にあると考えた。どうしてもゲームの類だと競う要素ができてしまうので人によってはゲームだけが趣味というのは精神衛生上よろしくないこともあるだろう。

では、どうすればいいか。それは自己完結型の趣味を持つことである。

あまり参考にはならないが自分には「架空のプロ野球選手や球団を考える」という自己完結型の趣味がある。ゲームは得意ではないのでその架空選手や球団を再現するまでは至っていないが別にこれは他人と優劣を比較するものではない。ゆえにやれ誰々が引けなかったとかランクがどうのこうのとイライラすることもない。

別にこんなニッチな趣味でなくとも綺麗な風景を撮るとか美味しいものを食べるとかでもいいのである。ただ一つ、他人と優劣をつけなければいいのである。間違っても共感者が欲しくて風景や食べ物をSNSに上げていいね数で一喜一憂してはならない。SNSに上げたとしてもそれは自己満足だと妥協する必要がある。どうしても人は承認欲求モンスターになりがちだからいいね数に一喜一憂してしまうのだが…。

もう一つ、今やっている趣味を自己完結化させることも有効ではある。

ただし、これは人によっては難しいかも知れない。かく言う自分もこの自己完結化は完璧にはできていない。

具体的にどういうことをやるのかというと次のようになる。

一つ目は「自慢情報をシャットアウトすること」である。どうしても自分より上手くいってる人間が発する情報というのは向こうに悪意がなかったとしてもマウントされているような不快感を覚えることもある。不快感を避けるため自分はSNSにミュートワードを設定して一部の情報を不可視化したりもした。

それを行ったことでやれレアキャラだとかやれランクだとかで競う類のゲームを自分のペースで楽しむこともある程度はできるようになった。

二つ目は適度に冷めることである。「言うて息抜きにそこまでやる気(向上心)を振り当ててどないすんねん」と少し冷めた感じになるのである。たけしの挑戦状で言うなら「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」である。あまり冷めすぎると引退になってしまうので冷めすぎも良くないが。

上位ランカーやガチ勢も「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」と思うことでどうでもよくなる。ただし思うだけにとどめておく必要がある。間違っても言語化してSNS等でアウトプットしてはいけない。

三つ目は高い目標を設定しないことである。二つ目と被るのだがそれで飯を食うわけじゃないんだからそこまで必死にならなくてもいい。何に対しても松岡修造みたいなモチベーションでやれる人間なんてのはそうはいないわけだし全員が頂点目指してしゃかりきにやらなくてもいい。

話は逸れるが「全員が頂点目指してしゃかりきにやらなくてもいい」は中高の部活動などにも有効だと考えている。強豪校も弱小校も揃って全国優勝のモチベーションでやるから指導死やブラック部活という悲惨なことが起きてしまうと考えている。だからこそ部活ではなく同好会にしてスパルタ指導をしない、大会に参加しない学校が増えた方がいいと思うこともある。

などと長々と偉そうに書いてきたが自分も競う要素が薄いスマホゲーム「ねこあつめ」でレアな猫が出てこなくてそんな些細なことでイラついたこともあったりもした。自己完結化とは逆で競う要素が薄いものでさえ勝手に競争化させていたのである。

結論:息抜きであるはずの趣味娯楽に対してまでストイックになりすぎたら本末転倒である

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