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どう思うかは勝手、どこでどういう言い方で言うかが問題

ネットニュースにしろブログにしろ動画サイトにしろコメント欄というのは罵詈雑言飛び交う地獄絵図になることがよくある。ネット掲示板にSNSなんかもそうだろう。

これらに共通して言えるのは匿名という隠れ蓑があるということだろう。これがあるから何言ってもいいと思い込んで暴言を吐き散らかす。そしてコメント欄によっては「いいねボタン」があって人によってはいいねの数が多ければ多いほど賛同者が多く集まったかのような優越感に浸ることもできる。

だが、誰に見られているか分からないのがインターネットでもある。匿名性に便乗して暴言を吐き散らかす人間はこの誰かに見られているか分からない感覚が欠如しているようにも見える。

加えてそういった人間は「自分が常に正しい」と思い込んでいる傾向がある。自分は正しい人間だから思ったことは何を言ってもいいと思い暴言を吐き散らすし自分以外の人間を「賛同する味方」か「そうじゃない敵」という極端な白黒思想で接することもある。

例えばレバーが好きな人とそうでない人がいて普段は「人それぞれ」でおさまっているのにそれをわざわざ「レバー好き(嫌い)なんて許されない」とわざわざ逆の考えの人間の居場所に殴り込むみたいなことも多々ある。レバーのところは他のものに置き換えることもできる。同じ考えを強要したがるのである。

とはいえ匿名性に便乗して暴言を吐き散らかす人間はネット内の限られた場所で徒党を組んで同調のコメントといいねでしか自己肯定感を維持することができない哀れな烏合の衆でもある。人生という限られた時間の多くを暴言で費やすというかわいそうな行動をしているとも取れる。

これは個人的かつ勝手な持論だが不快な言動をしている人間を見たら「性格が悪いと思うから腹が立つ、病気だと思えばある程度妥協はできる」と考えている。悪い性格を正そう、自分が正常な側だと示そうと思うとレスバになって疲弊する。

最後に自分がやっているインターネット上の不快回避対策としては

・不快や危険を感じたユーザーはこちらから黙って先制ブロックする
・そもそもそういう言い争いが起きている場所に行かない、言い争いを見ない
どうしても負の気持ちをアウトプットしたいなら秘密裏に行い、極力賛同を求めない

あたりだろうか



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