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「ある」と「ない」の分離から統合へ



急に来たぞ〜。この統合の感覚。

この感覚を求めていたんだ。喜びが溢れる。



何もしていなくても、「すべてが繋がっている」「すべてがある」と思えたとき、深い、じわ〜っとした、溢れ出すような喜びを感じる。



「急にはっきりと感じられるようになった。」

と思っていたけど、私の内側ではじわりじわりと繋がり始めていたんだな〜。



今日、2年ほど前に購読したこちらの本を久々に読みながら、それを感じた。

2年前にもこうして、統合の知識・意識をインプットしていたのだから。




いろんな人からの学びを繰り返しながら、たどり着きたかったのは、

「すべてが繋がっている感覚」

「すべてがすでにあるという実感」



もちろん、これからもその感覚は深まり続けていくのだろうけど、以前よりはっきりしてきたことが嬉しい。


その喜びは、深い安心感を感じるから。




現実の事象としてはうまくいっていないように見えても、奥深くで「大丈夫」と信じて、ただそこに在ることができる。


そんな不思議な安心・安定の感覚。



ときに疑って、自分で突っ込んでみる。

「えっ、不安じゃないの?焦らないの?」って。

以前の感覚と違うから、疑って探ったり確かめようとしている(笑)おもしろい。



自分が信じている世界を信じることができて。

地上で何が起きようが、地下ではどっしり安定していて。

ただ、自分がやりたいこと、やるべきことを淡々とやることができる。



これって、生きていることをじっくり味わう余裕があるってことだから。

生きている時間を味わえるということ。

それこそ、おわまるの世界観。



おわまるの講座やセッションでは、

「すべてある=すべ○」

「ある前提=◯前提」

と繰り返し、繰り返し伝えている。



一番影響を与えているのは、伝えている私自身だ。



ずっと昔から求めていたんだ



全部あって、全部繋がっていて。

そこに「良い」も「悪い」もない。

この世界にあるということは、きっとよりよくなるために必要だから。

何も分けたくない。分類されたくない。



ここまで言葉にできるようになったのは最近で、

とても深いところにあったニーズだから、自覚できていなかった。

言葉にできていなかった。

それより、浅いところにあった、分離感のある世界で手にしたいものを求め、言葉にしていた感覚だ。




でも、実際の行動は、無意識のうちに統合の世界を信じて行動していたのだな。


と過去を振り返るとよく分かる。



なぜ、病院のソーシャルワーカーになりたかったのか。

→病気の人と健康な人。を分けたくなかった。

なぜ、精神科に勤めたのか。

→精神が病んでいる人とそうでない人を分けたくなかった。

なぜ、ターミナルケアの世界に惹かれたのか。

→余命宣告をされた人とそうでない人を分けたくなかった。



もっと遡れば、唯一受かった教育学部で、先生になるつもりもないのに、わざわざ、養護学校の副免許を取得した。


先生になるつもりがないのに、障害のある子供たちの教育に惹かれた。


分けられた世界をより濃く見ることによって、「境目」がない世界を濃く見たかったかもしれない。



私たちは、本当は知っている



私たちは、本当は知っている。

ぜんぶが繋がっていて、ぜんぶある世界を。

すべての存在にジャッジがない世界を。


そして、本当は求めているのだ。


だから、そこに気づけばいい。

本当は知っていることを。

本当は求めていることを。



この感覚を忘れないために、こうして言語化をしておこう。




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