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奏でる二人。

夕方過ぎに見ました。
良いVでした。
良い演奏でした。

悩みがあるからこそ、わかり合える二人。
そして、彼等は格闘技選手ではない。
格闘家の二人。

簡単な事が良い様に思えてくる令和時代。
選手の試合を『文脈』として味わえなくなってる悲しい時代。
切り取り・切り抜きが当たり前になる時代。
ポエムと茶化される時代。
何事も発言を批判される世の中。

だが、那須川選手・青木選手は特殊である。
それを良しとせずに思った事を言う。
めんどくせぇんです!
オメェはそれでいいや!
投げかけてくるアントン・イムズ。

これからの時代はアイドル・格闘技。
選手の試合を観るのではなく、選手を観に行く。
そして物販などあれば選手と会話する。
サインをいただく。
会いに行く事が主になってくる。
それでは本末転倒だ。
それは箱庭ではなくて、地下アイドルの文化である。
だが、そういう文化になってきている。
なってるのだ。

試合は『闘い』なのである。
相手と存在を賭けた真剣勝負。
すなわち『プロレス』なのである。
プロレスには『闘い』が本来含まれてる。
いや、主題だったはずだ。
だが、それも薄れた。
無いに等しい。
だからこそ、青木選手は『ファイター』である那須川選手を称えた。
捉え方は人それぞれだ。
解釈がそれぞれあるからおもしろい。
それが行間なのである。
それが文化なのである。

見たくない奴は見に来るな!
それは、わからない奴は出ていけ!との事。
選手側が振り分けていかなくてはいけない時代なのだ。
消費されるのが大事なのであれば、何故彼らは悩むのであろう。
だからこそ休目を売らず。
安売りはしないのだ。
そのレベルまで、下まで降りたらダメなのだ。

最後は独りで死んでいく。
家族に見守られても。
孤独死であったとしてもだ。
どこにでもある緊張感を持ち続けなければいけない。

二選手にはイデオロギーがある。
すなわち尖ってるのだ。
これだけは譲れない。
そういう気持ちがある。
それが見えてくる。
それが美しくもあり、羨ましくもある。
僕が見たいのは『異物』なのだから。
『無人島だと思ったら仲間がいた』
前田日明さんの名言が今、重なり合う。

青木選手は「拝むもの」と那須川選手に説いた。
縁起モノでの意味合いも含めて『偶像』なのである。
それは、やってきた者の特権だ。
那須川選手はやり切ったからこそボクシングに転向した。
青木選手は何周もされている。
どちらも拝まれる対象なのだ。
だからこそ、わかり合える。
僕はボクシングを見てるのではない。
フィルターを通して、那須川天心選手の試合を見ているのだ。
青木選手も同じ事なのだ。
格闘技戦だって、プロレスの試合だって、そうなのだ。

プロレス・格闘技のアイコン。
すなわち『アントニオ猪木』である。
簡単には言えない。
出せない、大きな大きな人物。
彼等は目指そうとしているのではない。
いたのではない。
その道を歩いて行っているのだ。
偶然にも。
そういう宿命なのだ。

試合という記録。
それ以上に記憶。
二選手は『現在』を生きている。
それは非常に大切な事なのだ。
我々は二選手と同じ時代を生きている。
それは非常に稀であり、感謝するべき事なのだ。

ジャズは『インタープレイ』である。
奏でる二人は、とても魅力だ。

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