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50歳からの人生が楽しい

僕はいつからか、50歳からが僕の人生の本番だと思っていた。

小さい頃から、占いをすれば大器晩成型と言われ、実際のところ、僕の若い頃から今日に至るまでロクな人生じゃなかった。小学校の頃から、勉強以外は何をやってもダメだったし、学生の頃は、まったくモテなかったし、大学の卒業旅行では、オーストラリアに行って骨折するし、踏んだり蹴ったりだった。おまけに、35歳で双極性障害になって、43歳で甲状腺がんになって声に障害が残って、そして、これで人生終わったんじゃないかと思ったのが、昨年末の退職劇だった。本当に、50歳から人生の本番が始まるどころか、歳を重ねるにつれ、益々、僕の人生は転がり落ちるじゃないか。つい、この間までは、そう思っていた。

風向きが変わってきたのは、今の会社に入ってからだ。仕事が楽しくてたまらない。この歳で新入社員で、20代の若い子に仕事を教えてもらってるし、周りの友達は、みんな管理職になってるけれど、僕にはそんなことどうでもいい。なんせ、今が楽しいのだから。今の仕事で、もともと好きだったデザインのことも改めて関わることになり、毎日、SNSなんかで、デザインの情報をせっせと集めている。もともと好きだった骨董も、今まで以上にのめり込んできて、毎月、1点でもお気に入りの骨董に出会うのが楽しみで仕方がない。さらに、2週間ほど前、ちょうど50歳を迎えてすぐに、僕はスケボーを始めた。屁っ放り腰でみっともないったらありゃしないが、この歳になるともう恥ずかしいとか感じない。自分が楽しければ、それでいい。

僕は、自分のことを不幸だと思っていた。確かに、他の人に比べると、病気をしたりいろいろあった。でも、僕の人生に悪影響を与えていた一番の理由は、僕が他人の人生を歩んできたことだ。いつも、他人と比較していたし、いつも、それで卑屈になっていたし、いつも人からどう思われているかを気にして生きてきた。自分の人生は自分のものだということに、僕はこの歳まで気が付かなかった。

でも、冷静に考えると、いろいろあったことが結局、今の最高の人生に繋がっている。僕が双極性障害にならなければ、僕が声に障害がなければ、今の人生は、確実に歩んでいない。遠回りはしたけれど、僕はようやく僕の人生を歩み始めた。すべてを失って、ようやく見つかるものがある。

諦めなければ夢は叶うとか、やまない雨はないとか、そんな綺麗事を言うつもりはさらさらないけど、もし、深く悩んでいる人がいれば、それは、素晴らしい人生への通過点に過ぎないという可能性を、僕は今なら信じられる。


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