精神病院に入院した時の話

7~8年前、私が鬱病だった頃。

というか、鬱病というものは思考の問題であって完治するものでは無いと個人的には思っているので、現在も鬱っぽい思考になったりすることは多々有るけど、ここでは分かりやすく「鬱病だった頃」とする。


私が鬱病だった頃、精神病院に1週間ほど入院したことがある。

鬱病というものは、気分の落ち込みから始まり自死願望や睡眠障害(私の場合は過眠であった)、リストカットやOD等の自殺未遂が主な症状として現れるというのが世間における鬱病のイメージだろう。


私の症状も大体そんな感じで、ある日割と派手に自殺未遂をして1週間ほど精神病院に入院することになった。
その時の話を、笑い話として書きたい。




夏の猛暑日。


1週間分の荷物をトランクに詰め、まあ詰めたのは母なのだが、そのトランクを転がしながら私と母は都内にある精神病院に向かっていた。

到着し入院カウンターで説明を受け、まあ説明を受けたのは母なのだが、私も同意書を書く必要があるとのことだったので目を通す。


「暴れる場合は拘束をする可能性」
「治療の一環で鎮静剤を投与する可能性」
ははあ、精神病院のそれっぽくなってきたなと能天気にサインする。


一連の手続きが終わり母が入院の前金を払っていた。
詳しくは忘れたが、安くはなかったと思う。
自分が鬱病であることを思い出させるかのように、「なんで死ねなかったかなあ」という気持ちが浮かんだ。



入院フロアにエレベーターで上がると、直ぐに扉が出てきた。
職員がカードキーで開閉するものだ。
母とはここで離れ、携帯電話や財布等の貴重品も職員に渡す。



私が案内されたのは4床室だった。
その内、私を含めた3つのベッドが埋まっている。
1人は老婆、もう1人は中年の女性である。


トランクをベットの下に入れると、職員の人が南京錠を渡してきた。なんだ?
「トランクに使ってくださいね、たまに荷物漁っちゃう人がいるので」
ははあ、精神病院のそれっぽいやつ再びだ。



フロア内を職員に案内してもらう。
トイレ、公衆電話。
お風呂は週に3回(男性は2回だった)、時間制になっていて空いている時間をみて台帳に名前を書き込む仕組み。



数部屋の4床室がある廊下と、数部屋の個室がある廊下をだだっ広いリビングのようなスペースが繋いでいる。
数個の長机と椅子、窓際にはベンチがありカラーボックスには古びた雑誌と茶ばんだ文庫本が入れられていた。


食事は1日3度、フロア内に「お昼の時間になりました…」的な放送が流れるとそのだだっ広いリビングに食事ワゴンが入ってくる。
食事ワゴンには、自分の名札が置かれたお膳が乗っていてそれを各々リビングで食べるなり個室で食べるなりご自由に、という流れだった。

寝ていたり取りに来なかったりする人は、ある程度時間が経つと看護師が直接運びに行っていたような感じだったと思うが私は毎度自分でリビングに取りに行き、リビングでご飯を食べていた。




大体の説明をされ、部屋に戻る。


やることもないので、とりあえずトランクを広げてみる。
といっても大した荷物が入っているわけでもない。
1週間分の着替えと、洗面用具とスリッパ。 それと携帯電話が使えないのでテレフォンカード。
トランクの割合を一番占めているのは恐らく文庫本であった。


荷物を詰めたのは母だったので文庫本のチョイスも自動的に母が行ったんだろう。
読むのが早い私の為か、十数冊もの文庫本が詰められている。
その中に三浦しをんの「舟を編む」が入っているのが見えた。


これは私が母に貸したやつだ、ちくしょう。


精神病院という空間だからなのか、ベッドとベッドを区切るカーテンが無かった。

というか病室のドアも基本は開け放たれている。
恐らく、定期的に見回る看護師が部屋をすぐ見渡せるためだろう。
そりゃそうだ、精神病を患って何をしでかすか分からない人間達の集まりなので視認性に欠けるのはまずいだろうしね。


それでもベッドの傍に小さなテレビはあったし、広い部屋で4床室だったのでそれなりに広く自分のスペースを保てていた。



私はなるべく昼夜逆転しないようにと、朝はしっかりリビングにご飯を食べに行き、ご飯を食べたらとりあえずフロア内を散歩してみたり本を読んだりテレビを見たり…、そしてまたご飯を食べたり散歩をしたりテレビを見たり、そしてまたご飯を…………。


頭がおかしくなりそうなくらいやることがない。
いや自殺未遂でここにいる以上既に頭はおかしいのかもしれないけど…。







リビングには大体決まった顔ぶれが居ることが多い。
数名のグループのようなものが出来ていたりもした。


若い女性も2人いた。
見た目は当時20代前半だった私とそう変わらず、いつも2人で食事を取りリビングのベンチでお喋りをしていた。
片方は大人しそうな黒髪のロングヘア、もう1人は金髪ショートヘアで黒縁眼鏡だった。なんか古着とか邦ロックとか好きそうな雰囲気のあの感じね。

見た目には、失礼だが2人とも精神病患者には見えない。

1度彼女達の傍に座り、文庫本を読みつつ会話に耳を傾けたことがあったが、金髪が昔働いたAmazonの倉庫派遣についてひたすら話しているだけで黒髪は適当に相槌をうっているだけだった。


実際のところ入院患者の半数は、恐らく認知症患者みたいな老人が多くてリビングに集まっていたグループも傍から見ると老人ホームのそれであった。


なので、実際のところそこまで精神病院っぽい(といったら失礼だけど)患者はあまり見かけることもなかったのだが。



同室の2人が中々に曲者であった。


先にも書いた通り、私の病室は4床室で私のベッドは入口から入ってすぐの右手に配置されていた。

私の正面、つまり入ってすぐ左手のベッドには中年女性がいる。

荷物の置き具合、というか何となくベッド周りの生活感を見ると長く入院しているような感じだ。
髪には所々に白髪が混じっている感じで、それを後ろで1つに縛っている。
今思えばガンバレルーヤのよしこに似ていたので、ここではよしことする。


もう1人はよしこの隣、つまり入口から見て左手の1番奥である。
かなりの老婆だ、基本は寝ている…と思いきやたまに起き上がりフラフラと徘徊したりしていた。
看護師さんの問い掛けにも無言か、「ハア…」とだけしか答えない。
この老婆は都市伝説に出てくるターボおばあちゃんに似ているので、ターボとする。





よしこは基本的にずっと笑顔でベッドの上で正座をしていた。
例えるならば福助人形のような感じだ。
ご自由に、という感じではあるのだが何せいつも私のベッドに向かって正座をしている。

カーテンみたいな仕切りもないので、仕方ないところではあるがこちらとしては何だか視線を感じるような気がして、リビングに文庫本を持ち込むことが多くなった。


夜、スリスリスリスリ…という音で目が覚めた。

なんだ?と思って暗闇に目を凝らすと、よしこがベッドの上で正座をしながら何かを高速で擦っている。
もちろん向きは私の方を向いている。


怖い、怖過ぎる。


更によく目を凝らすと、それはよしこが昼間履いているスリッパだった。
拭いているのだ、なんだか分からないけどめちゃくちゃにスリッパを拭いている。
そしてそれは何かを拝む様な姿でもあった。

いや、スリスリスリスリうるせえな。



数日経つと、よしこは私の後を着いてくるようになった。

朝ご飯を食べてフロアを散策するか、とふらついているといつもはあまり病室のベッドから出ないよしこが私の少し後ろを歩いていることに気が付いた。

ふーん、よしこも部屋から出るんだな。

とあまり気にせずに居たのだが、私が止まればよしこも止まるし、私が曲がればよしこも曲がる。
何なら私が公衆電話で電話を掛けている時もよしこは少し離れたところで私を待っていた。
いや、なんで?


よしこは大抵鬼滅の刃に出てくるカナヲちゃんさながら笑顔を浮かべ正座をし、時に私の後を着いてきていたのだが(なんで?)、夜中スリッパを磨く時はとても険しい顔をしていた。


彼女なりに何かあるんだろう。
精神病院とはきっとそういうところなのだ。
スリスリスリうるせえな。


ターボは基本的には寝ているだけだった。

ご飯も看護師がターボのベッドに運び、食べが悪いと看護師に食べさせてもらっていたようだった。
昼間はたまにフラフラとトイレに行ったり廊下をさまよったりと動く様子もあったが、問題は夜である。

よしこのスリッパ磨きも落ち着き、静寂が戻った部屋に「ウワー!!!!」と悲鳴が響き寝ていた私は飛び上がった(よしこは寝ていた)。
ターボである。
ターボは夜型人間だったのだ。
夜はしゃぐ癖があるようで、ことある事に夜中叫んだり大声で泣いたりしていた。


ある日の夜中、寝ている私のベッド脇に誰かが立っている気配で目覚めた。
ターボである。
私は心臓が飛び出そうな程に驚きつつも、「何?」とターボに聞いた。
「カズコ、トイレに連れてってくれ」
カズコって誰?
恐らく家族の誰かと間違われているんだろうと察した私は「私はカズコじゃない、看護師さんに言いなよ」とまた睡眠の体勢を取る。

が、昼間の大人しいターボはなりを潜めているためか、何やらまだベッド脇から動かず聞き取れない言葉を発している。

とうとう根負けして、私がナースステーションに事情を説明しにいくはめになったのだ。

ターボは夜とても積極的な女だった。




と、こんな調子で2人の同室者と濃い1週間を過ごし、鬱病の治療には効いたのか効かなかったのかよく分からないまま退院した。
私は何のために入院したんだったかな。

退院の日には母が迎えに来た。
特に何を語るわけでもなかったが、入院した時より何だが全てがどうでもよくなっていた。

鬱病がどうのとかいうより、よしことターボのお陰でなんだか疲れていた気もする。
だからこそ、鬱病のことを忘れられていたのかもしれないけど。

今となっては笑い話には出来るというものだが、自殺未遂をして満身創痍で入院した挙句、精神病院の同室者が曲者とあったら休まる心も休まらないというものだ。



入院して2日目の夜中、ターボ婆とよしこの奇行に耐えきれなくなった私は暗闇にポツリと浮かぶナースステーションまでフラフラと歩いていき、

「あの…同室の人達がちょっと…、なんていうか怖くて…。こういう所に入院してる以上私も同じなのかもしれないので信じて貰えるか分からないんですが…」

と看護師さんに話した。

すると看護師は笑いながら



「まともな人は皆そう言うから大丈夫だよ」



と2人を注意しに行ってくれた。

といいつつ1週間毎晩続いたが。




数年経った今、なんやかんや結婚して子供を産んで、たまに猛烈に死にたいだのなんだのと思うことはあっても、以前のように自殺未遂をしたりすることは無くなった。

何故かは分からない。
初めにも書いたが鬱病は思考の問題だと思っているので、生活が変わり、若かった私の悩みも時間や周囲の環境が解決してくれたのか。

それともよしことターボを見て、「こうでなければならない」という考えから少し離れられたのか。
だって、夜にスリッパを磨いちゃいけないとか、夜に家族と間違えて人を起こしちゃいけないなんて法律はないんだから。




たまによしことターボを思い出す。

あの2人はどうしているだろう。



どういう形であっても、あの1週間を過ごした2人が健やかに、そして夜は少しだけ静かに過ごしてくれていたら私は嬉しい。

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