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空を見あげれば灰色が広がっている。今週は過ごしやすい気温が続いていただけに、この肌寒い感覚が懐かしいようにも思えるくらい。桜は散って街には一層みどり色が増えた。当然日差しはなく辺りは淀んだ部屋のような色味をしている。僕は朝おきた。11時に起きるとソイプロテインに250ミリくらいの無調整豆乳を混ぜて、それで十数粒のサプリメントを流し込んだ。開高健の輝ける闇を、きもち読み進めて外に出てきた。お気に入りのカフェに行こうと思ったが今日は定休日らしい。僕はあのジンジャエールが飲みたかったが、感情の起伏も起こらず、つまり気を取り直すことなく近くのカフェに来た。もう16時だ。

お店には噂話が満ちていて、時々波だったり風みたいに引いていく。ウェイターは片手にトレーをもって決まった道を行ったり来たりしている。皿だったりコップを下げればすぐに背を向けてすぐにバックヤードに引いていく。それらはとどまることなく、常に時間をひっかいている秒針にでもみえる。この頃、誰に対してもそんなことを感じることがある。生きるうえで悔いて憂いで喜ぶ。たまにそんなことを思い出して今を見る。僕ではない他人はそれでもって時間をかき分けるように歩いていく。そんなものに見える。ただそんなカタチに見える。

こんなことを考えれば、つくづく自分は物に依存しているんだろうと感じる。ただぼんやりとしたイメージに意味を貼って形作る。人間がそのような構造ならば、僕はもう少し時間に信用されなきゃいけない。時間に誠実に向き合わなきゃいけない。今あるものを必死にかき集めて、ただ流れる時間に押し流されないように常に対峙し続けなきゃいけない。そうなふうに思う。


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