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緩和医療があってよかった

ベストオレンジ賞

2020年12月06日発表された日本緩和医療学会11/30人生会議の日プロジェクトベストオレンジ賞が発表され、なんと私の投稿したにんじんの写真が選ばれました。

私が投稿したツイートは下記の通り。
にんじんグラッセは料理が得意とはいえない私の唯一の得意料理で、ママ友に「お弁当の付け合わせにも使えるよ」とレシピを伝えるために撮影していた写真でした。
そして上村恵一先生からはとても温かい評をいただいてしまいました。

緩和医療で思い出すエピソード

ある患者さん(故人)とのエピソードをご紹介します。
個人が特定されないよう配慮しつつも可能な限り事実に沿ったものにしたいと思います。

長崎裕子さん(仮名)が卵巣がんと診断されたとき、がんはかなり進行していて予後は明るいものではないと主治医から告げられたそうです。
実際、最初の治療で寛解したもののあまり間隔をあけることなく卵巣がんが再発しました。

初回の化学療法で副作用に悩まされた長崎さんは再発治療に踏み切ることに躊躇しました。
「辛い治療を受けるからには治療の必要性を納得したい」
長崎さんは私と話をしたうえで何人かの婦人科医師・腫瘍内科医師を選びセカンドオピニオンを受けました。

長崎さんはセカンドオピニオンで「副作用の辛さを和らげる大切さ」についてアドバイスをもらったといいます。
「我慢をしていいことはひとつもない」とまで言われたそうです。
長崎さんは几帳面な正確でノートに初回治療中に投与された薬、辛さを訴えた時に処方された薬などを全て記録していました。
それを見た腫瘍内科の医師から副作用の辛さに対して主治医が適切な対応を行ったか疑問があると指摘されたのです。

長崎さんは再発治療を行うにあたり婦人科ではなく腫瘍内科医師による治療を希望しました。
しかし彼女が通っている病院の腫瘍内科では婦人科の患者は受け持たない方針だったといいます。
では婦人科病棟での抗がん剤治療ではなく副作用の対応に長けた医療スタッフが多い外来化学療法室での治療を希望しましたがそれも叶わず、卵巣がんは婦人科病棟に入院しての治療のみであると告げられたのです。

長崎さんは飛行機代を払うから私に診察に同行して欲しいと言いました。
婦人科の診察室で彼女は「副作用による辛さを感じるのが嫌だ」と主治医に対して改めて告げました。
主治医はあっさりと「それならば治療をしないという選択肢もあります」と回答をしたのです。
私は見るに見かねて「0か100かで議論をするのをやめませんか」と二人の間に割って入りました。

主治医は日本緩和医療学会が提供するPEACEプロジェクトを受講し緩和ケアについてもしっかり学んでいると主張します。
長崎さんが初回化学治療で辛い思いをしていたとは知らなかった。
初回化学療法で長崎さんが辛かったのは辛いと意思表示をしなかったからだと言ったのです。

長崎さんは主治医の言葉に憤慨し目にいっぱい涙を溜めていました。
主治医に副作用の辛さを口頭で伝えてもメモで伝えても対応してもらえなかったというのです。
副作用の辛さのために休職を余儀なくされ復職したところでの再発。
1日でも長く生きていたいから抗がん剤治療は受けたい、でも辛さでまた休職はしたくないという思いが強いことがわかりました。

主治医とここまで思いがすれ違ってしまった以上、辛さのコントロールを婦人科でと伝えても長崎さんの気持ちが動きそうにないと私は思いました。
この地域はがん診療連携拠点病院間の距離が遠く病院はここしか選択肢がないのです。
そこで婦人科の診察室でこの提案をすることはどうかと思いつつ、婦人科で抗がん剤治療を受けること(実際入院治療中に対応するのは若手の医師や看護師さん)、そして辛さについては緩和ケア外来で対応してもらえないかダメ元で相談に行こうと勧めたのです。

看護師さんの機転もあり2時間後に緩和ケア外来の医師と話し合う時間をいただくことができました。
緩和ケア外来の医師は「あくまでも主治医は婦人科だからなぁ」と最初こそ受け入れに腰が引けていましたが、婦人科病棟に入院しての抗がん剤治療であることから「長崎さんが入院治療する日に必ず僕が病室に顔を出します」「退院したら仕事に行けるよう入院中にしっかり辛さをコントロールしましょう」と申し出てくださいました。

婦人科と緩和ケア外来が連携する形で長崎さんの再発治療が始まりました。
病気との戦いは甘くなくがんの増悪は止まらずじりじりと長崎さんの病状は悪化していきました。
しかし辛さはかなりコントロールしてもらえているようで、1時間弱の通勤が続けられているという報告にホッとしました。

2019年梅雨が明ける頃に長崎さんは天国に旅立ちました。
その4日前に長崎さんの希望もあり私は面会が叶いました。
長崎さんは私に「ちょっと待ってね」と告げ、フラフラと歩きながら病室を出ていきました。
数分後、あの時にお会いした緩和ケア外来の医師と戻ってきました。

「片木さん、私はあのときに緩和ケアに繋がれて良かった」
「痛みや辛さを0にすることはできなかったけれど80の痛みを15くらいにしてもらえることで私は大事な仕事を年度末まで続けられたし後輩に引き継げたわ。」
「最近まで毎日家族にご飯を作れたし家の片付けもできたの。」
「普通の生活ができる、当たり前の日常は私にとっては彩りあふれる大切な時間だった」
「あのまま副作用が嫌で生きるのを諦めなくて良かった、この1年ほどは緩和ケアのおかげで私は生きられたと思っているからそれを覚えていてね」

長崎さんの言葉を聞き緩和ケアの医師は涙をぽろぽろこぼされました。
私も長崎さんとの短かったけど濃い時間を思い出し涙が止まりませんでした。

帰りの飛行機の時間が迫っていたため私は長崎さんと軽くハグし病室をあとにしました。
すると緩和ケアの医師が追いかけてきて「長崎さんはここ数日歩く体力すらありませんでした。片木さんに会えてなにか力が出たのでしょうか。歩いて僕を迎えにきた時にびっくりしました」と。
そして病院の入り口で医師と固く握手をして別れました。

長崎さんだけでなく、卵巣がん治療と向き合う中で副作用に苦しみ、そのなかで緩和治療医と出会い助けられた患者さんがたくさんいます。

昨年秋に天国に旅立った北陸の患者さんもブラジルから戻った私が会いにいったら緩和ケアチームの先生や看護師さんをたくさん紹介してくれて「このチームは最高だからこの先患者さんが困っていたら繋いであげてね」と私に何度も言っていました。

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(写真は北陸の患者さんから送られてきたもの)

緩和医療は患者の日常に彩りを与える

11月30日は人生会議の日。
人生会議といえば1年ほど前に私は厚生労働省のポスターに意見し大炎上をした苦い思い出があります。
私自身はあのポスターについては否定しましたが、人生会議を否定はしない(ネーミングはACPがいい派ですが)し、患者や家族・医療者が残された日をどう生きるか話し合い共有することについてはいくつか記事を書かせていただいています。

長崎さんが私に告げたように、がん治療に苦慮している患者さんにとって日常を過ごせることはとても大切で彩りがある時間です。

今回、人生会議の日に緩和医療のカラーであるオレンジの彩り。

緩和医療に携わる先生方は患者さんと向き合う時間が長い・短いにかかわらずその苦痛を減らし彩りある時間を過ごす機会を作っていることを知ってもらいたいなと思います。

最近、医療現場が逼迫し緩和ケア病棟などにも影響が出はじめています。
これ以上、医療に影響が出ないよう私たち自身もひとりひとりが意識をして医療を守る行動を取り、がんの患者さんが最後までその人らしく暮らせるような医療環境であることを守らねばならないと思っています。

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