とりあえず〜五輪閉幕

2021年8月9日

オリンピックが閉幕した。ひとまず開幕時に書いた自分の投稿に対するリアクションを含めて、大会についての所感を書き残しておこうと思う。


1.とんでもない大偉業の連続〜日本選手団の戦績

まずはここ。国別の対抗は五輪憲章に反しているとは言え、メダル獲得に苦しんだ20年程前を思い返せば隔世の感がある。27個の金メダルを含む史上最多の58個は素晴らしい。やはり自国選手の活躍には盛り上がる。自分自身も元気をもらったし、連日メダルを取りまくる日本選手、とりわけ若い選手のプレッシャーを感じない(ような)たたずまいに驚いた。疑いなく間違いなく選手、指導者、競技団体関係者の日頃の地道な努力の結実である。しかし同時に少し長い目で見ると2000年初頭に打ち立てられた「JOCゴールドプラン」が果たした役割も大きいと思う。


と思っていろいろ検索して見つけたこの記事を見て二度びっくりした。26個の金、合計60個と、ほぼピタリ当てている。この「グレースノート」なる団体にも注目だ。


2.銅メダルの重み付け

これは今大会に限らずなんとなく感じていた。誤解を招きかねないので慎重に述べるようにするが、順位やポイントの付け方に競技の独自性が盛り込まれるのは当然であるが、3位の決め方が競技種目によっていろいろであり、ここの是正に注目されてもいい気がする。具体的なところでは殆どの球技系スポーツでは準決勝で敗れたチーム同士が3位決定戦を行う。しかし、中にはトーナメントのある段階で敗れたチームや選手が敗者復活戦に回って再び銅メダルに挑戦できる競技種目もある。例えば体操は決勝の得点で同点であれば3位が複数選手出てもそのまま銅メダルとするようだし、

ゴルフの場合は3位タイ選手たちでのプレーオフを行っていた。

私の文章ごときで誤解する人はいないだろうが、メダルの価値を疑うつもりは毛頭ない。そんな意図ではない。しかし、メダリストとメダルを取れなかった人との差、はとてつもなく大きい、と推察される。そうであれば、各競技団体の独自性や独立性は尊重しながらも、IOCなど然るべき機関によって、銅メダルの決め方にある程度の公平性を保つための調整は必要ではないだろうか。個人的には削減する方向じゃなく、「切り上げる」方向で考えて欲しい。例えば、サッカーやバスケットなどの多くの球技スポーツで準決勝まで進んだら、敗退2チームに銅メダルを授与してもいいんじゃないだろうか。3位決定戦が真剣味がなくなり商業的に価値を下げるのかもしれないが。


3.ラグビー

自分自身が強く携わる競技、ラグビー。当然だが最大の関心を持って観戦した。まず関係者、スタッフ、選手の方々にはリオ後から挑戦、ご苦労様でした。今回も全く関係することが出来なかった自分にはあまり多くを語る権利も資格もないだろう。あくまで公式試合記録から男子大会の「入替」に着目してみた。

まず全体の入替回数については日本代表は他国やトップチームと比べても変わりなく5回の入替数を活用していた。

入替数の全体

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次に、入替時間帯に注目した。入替の91%が後半に行われたので後半のみに着目したのが以下の図。日本代表は後半の前半部に入替を行っているが、他国に比べると4分以降の入替が少ないといえる。あくまでこのデータから言えることだが、後半の終盤に積極投入できるような層の厚さが課題だったのかも知れない。

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最後に、どんなときに入替が行われているか、入替時の得点差に着目したのが下の図。そもそも日本代表が大量リードを奪う試合展開になっていなかったので、7点差以上のケース自体が少なかった。また、リードを奪われたケースが多いのでこのような結果になるのもやむを得ないかもしれない。この辺りはもう少し深い考察が必要だろう。しかし各国ともリードが比較的小さいうち(0〜13点差)でも入替を活用する点にも注目したいところ。

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ちなみに現在各メディアが当事者への取材や論客への聞き取りなどから今回のセブンズの戦いぶりを総括しようとしているのでいくつか紹介。

野沢さん;女子について;強化の方向性と戦略を見直すべき

日本協会の若手育成担当やテレビ解説も務める野沢さんの分析。様々な指導関係者ともコミュニケーションを取った彼の意見、提言は貴重であろう。

日経:男子の敗因はキックオフ

最近ラグビー関連記事の質の高さが定評の日経。松井主将から具体的なインタビューを引き出している。国内強化の限界、練習相手についての松井主将のある意味正直な感想は今後の検証にとってとても重要である。ただし本丸である強化責任者や監督・指導陣の正式な振り返りも明らかにされるべきだろう。


4.コロナ禍の開催と世論の変化

オリンピック史上まれに見る状況のなか開催された今回。1940年に返上したときと重ねて、呪われた大会と呼ばれたこともあったが、今のところ大会自体は大きな事件や事故がなく終わった。今後様々な検証が行われるだろうが、ひとまずは、大会直後の「雰囲気」はこんな感じ。

64%をどう捉えるかにもよるが、「ネガティブな人ばかりではない」とは言える。もともと大会前から、選手の頑張り自体に否定的な人はいなかったように思う。開幕して選手達の競技や演技を目の当たりにして勝った負けたといった真剣勝負が繰り広げられれば、多くの人の心は動かされるだろう。スポーツウォッシングという言葉の存在を大会中に知ったが、

古くは1936年ベルリン大会のナチス。1980年代の米ソ冷戦など、常にスポーツは為政者の道具に使われていたわけで、規模が大きくなればなるほど、政治権力から逃れることは難しいし、むしろスポーツ側が権力を活用してきたとみる言説もある。



5.自分の所感

最後に、自分自身はどう考えたか。まず開催されたのは良かったと思う。されなかったときのスポーツ界へのダメージを考えると。ただ開催方式には釈然としない、心から楽しめたとは言えない。多くの要因があるだろうし、誰か一人だけの責任ということはないだろうが。一つの大きな要因は、無観客だった、ということだ。もともと自分自身はチケット抽選が全て外れていたので、当初は観客の有無には殆ど関心がなかった。しかし、開幕して感じたことは、テレビに映る国立競技場、自宅からそんなに遠くない、何度も行っていた神宮外苑での開会式が遠い世界のように思えた。あれ、どこでやってるの、と。ラグビー競技が行われた東京スタジアムは、毎日通勤の乗用車で通る。自転車で10分程度で着いてしまうご近所さんだ。日本の試合の最中にも競技場脇の道路を車で通り過ぎた。しかし競技場に入れないどころか、あたかも数100m先で行われている大勝負の現場にも近づくことすら許されないむなしさを感じた。応援したい対象がすぐ傍にいるのに、何もアクションを起こせないことが分かると親近感を維持するのは難しい。日本の試合を含めて試合自体はライブやディレイを含め殆ど全て見たが、傍の巨大なスタジアムで行われてるはずの試合を小さなスマホでなければ見られないこの滑稽な状況を理解できなかった。

有観客で行われていれば、周りの知人友人のなかで、どこかしらの会場や行った人がいるだろう。その人達からのストーリーを聞いて更に興奮が増幅され間接的だが体験が作り上げられたことだろう。〇〇さんはソフトボール決勝見たらしい、やっぱり上野投手はすごかった、とか。××さんはあの名勝負を生で見た、と聞けば、観戦した当事者だけでなく、その話を聞いた人たちも疑似体験することで、東京2020大会の体験が、「我々のもの」と一緒になっていただろう。いろいろな理由があるにせよ、Jリーグやプロ野球も有観客に出来た。世論やマスコミのせいだけでなく、運営のリーダーが適切に慎重に進めていれば有観客は出来なくはなかったはずである。運営が犯した失敗の中でなによりも大きな失敗だと思う。


これからパラリンピックが始まるが、最近強く関心のある部分と重なる点で注目してみたい。


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